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芸術ってなんの為にあると思いますか
- 1 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/15(金) 23:53
- いろんな意見を聞きたいです。
- 2 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 00:04
- おわっ。大きく出ましたねー。とりあえずシンキングタイム…
- 3 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/16(土) 00:07
- なんかこれが結局議論の根底にあるんじゃないかなって
思ったのよ。そもそも。
- 4 名前: よっちゃん 投稿日: 2000/12/16(土) 01:47
- | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 見ヌフリ禁止 |
|_________|
∧∧ ||
( ゚д゚)||
/ づΦ
- 5 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/16(土) 03:11
- うーん、やっぱり自分から書かなきゃね。
芸術って今と昔じゃ大きく違うよね。
昔のいわゆる芸術品って無名の職人達が生み出したものじゃないですか。
でも、昨今の芸術品は芸術家達の自己表現ですよね。
しかし、例えば、そういった職人的気質から生まれただろう、
百済観音とか、中宮寺の半か思惟像(字わからん)に
自己表現が無いかって言うと違いますよねえ。
しかし自己表現するためにつくったのではない・・・
だから、昔の芸術は、自己表現の為にあったのではないと思います。
今の芸術はまさに、自分探しっていうか、そういう感じ。
実存を感じる為にやっているっていうか。
昔の芸術品に感じる職人的な禁欲さって、そういうものから
来るんじゃないかなあ、って思います。
結論はまだ出てないんですけどね。
昨今のものに絞るなら、
じゃあ、なんで自己表現しなきゃいけないんだっていう話になっちゃうと
思うんですけどね。
それってなんか難しい・・・
- 6 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 04:26
- ちょっと話題がずれるけれど、
芸術家って大きく3通りあると思う。
1.自分のために創作する。模索しながら自らを高めて
以前の自分を越えようとする。人がなんと言おうと
たとえ生活苦でも自らの道を進む。
2.生活のためとか、名誉・地位のために作る。
パトロンへの御機嫌取りも含めて、自らの信念に
反しようとも、人にうける作品をめざす。
3.1と2の混合。
現代は1のパターンが多いんじゃないかな。
暗黙の掟みたいのがあった昔と違って
今はなんでも芸術だもんね。
一口に昔とはくくれないけれど、
絵画の主題のヒエラルキーがあった頃、
知識がなければ描けない<歴史画>がもっとも
高尚で、風俗画や静物画は相手にされず
たとえ出来が良くても低俗とされたけれど、
そんな時代にあえて風俗画や静物画を
描き続けた画家も1かな。
- 7 名前: 私も参加 投稿日: 2000/12/16(土) 12:04
- ごく個人的には、
「自分を素(す)にかえらせてくれるもの」です
- 8 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 12:43
- 人間の脳の出来そこない加減の表出
もし前頭葉が(かどうかしらんが)動物との差を規定すると
すれば、それが神の作り賜うたものだとしたら、悩みを
持つこと自体、失敗作であることの証明
おかげで芸術が不可避となり、死までの束の間の時を
退屈しないで過ごすことができる。
狩りと生殖だけに没頭しないで済む。
悩めてよかった。ありがとうある種の蛋白質。
- 9 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 13:53
- 芸術とは「何か」に向かう意志が形になったものじゃないかな?
「何か」は作者それぞれ違うと思うけど。
仏像は自己表現とは違う気もする。
例えば、ある音楽家が「頭の中で音が鳴ってるから何も考えず
それを外にだしてあげてるだけ」と言っていたが、同じ意味で。
個人的にはこれが芸術の頂点かなと思うが。
もちろん「怒り」や「悲しみ」や「歓び」や気持ちからの作品も
素晴らしいと思うけど。
「衝撃」や「感動」を受けたのはだけは分かるけど
言葉や知識では説明できないものに出会いたくて芸術に
時間割いてるんだと思う。←勉強不足のバカでいいので
某スレの知識偏重さんは噛みついてこのスレ壊さないでね。
芸術なんか無くても死なないけど、人間は起きて食べて働いて寝るだけ
の人生では満足できないんだと思う。
犯罪者や革命家や起業家たちは芸術なんか必要無い程の
強い明確な意志を持って生きてるんだろうけど。
ん?作品の作れない芸術家なのか?これって。
- 10 名前: 名無しさんi486 投稿日: 2000/12/16(土) 14:39
- >例えば、ある音楽家が「頭の中で音が鳴ってるから何も考えず
>それを外にだしてあげてるだけ」と言っていたが、同じ意味で。
>個人的にはこれが芸術の頂点かなと思うが。
この考え方で行くと全ての主題労作的な作品はダメと言うことになってしまうと思います。
それどころか一つの作品ができるためにはどんな物であれ意識的な手作業の部分が欠かせないのでは。
ベートーヴェンのディアベリ変奏曲などはゴルトベルク変奏曲などとならんで評価されていますが、
その主題自体はベートーヴェンのものではないし、まるで無価値と言っても良いようなものだと思います。
しかしこの作品がディアベリのものとは言われないのはその価値が手作業たる変奏の部分にあるからでしょう。
あるいは第5交響曲をあげてもいいです。どこかの評論家がいっていましたが
この交響曲の中心となるあの運命の動機(たたたたーんというあのリズム)自体はなんの変哲もない
そのあたりに転がっている石ころのようなものである、しかしそのなんの変哲もない石ころから
あれだけ人の心を動かす(古典音楽の中でも識者以外の人にも好まれる作品の代表格でしょう)
作品を作り上げたのはまさに奇跡に等しい、と。この意見をきいてなるほどと思いました。
神秘的な着想、という物に価値があるのではなく、その着想をいかに意識的に一つの作品にまとめ上げるか
いかに対立し合う主題を一つの調和有る作品にするか、と言うことが重要なのだと思います。
もちろんこのように調和有るものとなった作品はそこに意識の介在を感じさせません。
マンの言葉を借りるなら「一つの完成した作品として世界に生まれ出てきた」
(彼はそれを偽装と言っていますが)ように見えます。
パトスの表現の様に思われがちな(もちろんそういう側面もあるが)ベートーヴェンの音楽ですが
それに価値を与えているのはそのパトスを一つの調和有る作品に作り上げる彼の冷徹と言っても良い
音楽家としての側面であって、道徳家、感じやすい理想主義者たる
彼の思想・感情(神秘的な着想!)ではないでしょう。
じっさい彼の思想だけを取り出してみるならば頑迷な田舎道徳家にすぎません。
その道徳が無価値とはとても言えないのは確かですが、その価値において
音楽家ベートーヴェンの音楽作品自体に比較しうるものではないと思います。
もちろん、このいわゆる「偽装された」作品を聞くときにいちいち意識の介在を考慮に
入れる必要は必ずしも無いのですが。
ただ、逆説的ですがそういう聴き方だけでは、より「偽装されていない」作品、技術から離れ、
より芸術家自身の感情の発露に近づいた作品を理解するのが難しくなるのでは。
むしろなにも知識のない人に受け入れられやすいのは計算し尽くされた作品であることが多いように思います。
どちらが優れているとは言えませんし、優れた芸術作品はどんなに感情の発露に近づいても
やはり計算し尽くされたものだとは思いますが。
- 11 名前: ヤヴンハール 投稿日: 2000/12/16(土) 14:42
- 長い
- 12 名前: ひよこ 投稿日: 2000/12/16(土) 14:44
- 「人生豊かにしてくれるもの」
これじゃあ、テレビチャンピオンのコメントだな←自己ツッコミ
でも、わたしのようなひよこでも、一枚の絵の前で、固まって
動けない、(実際私はよく止ってしまうのだが)感動を与えてくれる。
芸術作品には、何か魔力が潜んでいるのかもしれない。自分で言ってテレル。
で、何のためにあるのか、って考えてみたんだけど
例えば、薔薇が咲き誇っていたとして、
でも何時かは枯れてしまうわけで、その様子は
その時にその場にいた人しか味わえないよね。
でも、それを優れた芸術家が絵や、彫刻
(薔薇の彫刻があるかどうか知らないが)にすれば
時間や空間の拘束を離れて、
ついでに作家の技量で本物以上の感動を埋め込んでくれたりして。
その意味で芸術って、一瞬を永遠に変えるもの、かな、なんて思ったりする。
空耳さんの、ま〜きれい、という
素朴な人(正に私だ)でも良いう言葉に励まされてカキコ。
- 13 名前: 名無しさんi486 投稿日: 2000/12/16(土) 14:45
- というかここは絵画、造形芸術の話題のみの板なんですか?
芸術一般の話題なら可と思っていましたが、音楽の話をするのは板違いなのでしょうか。
音楽一般板やクラシック板は芸能関係の話題ばかりなもので・・・
スレッドの話題を逸らしていたらごめんなさい。
- 14 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 14:55
- 音楽は音楽板があるからねえ。
あんまり範囲を広げちゃうと収集つかなくなるし。
でも「この板の住人が聞く音楽」スレッドがあるじゃん。
そこで話すってことではダメ?
- 15 名前: ヤヴンハール 投稿日: 2000/12/16(土) 15:12
- 音楽を媒介にしているけれど、ある人にとって「良い」芸術の
要素って? というような内容だから、広義には哲学、心理学、
美学、と捉えてよいと思います。美学講座でとりあげられて
いるものには音楽関連がわりとあるようですし。
しかし「美術鑑賞」という板のタイトルを何がしかの確認事項と
するならば、スレ分けで妥当なりか?
- 16 名前: 名無しさんi486 投稿日: 2000/12/16(土) 15:14
- 了解です。音楽関係の書き込みは控えるようにしますね。
汚い長文カキコすいませんでした。
しかしこの板レベル高いですね。
単純に、議論が成立しているというのが凄い。
みなさん真面目に語っていらっしゃるし。
2chとは思えないです(笑
音楽系にもこういう板があったらな〜。ってすでに音楽板多すぎか(笑
- 17 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 15:27
- >16
http://piza.2ch.net/gallery/index2.html#19
ここが、雑談スレになっているから、行ってみれば?
- 18 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 15:30
- >>16
レベル高いですよね。
二流大学で物理を学び始めたばかりの僕には
ここの議論はとても参加出来ません。
- 19 名前: お前名無しだろ 投稿日: 2000/12/16(土) 17:18
- 文章長いよ・・・
君の言う通りだと思うよ、別に反論は無い。実際あなたの書いてるような
作品の方が人間らしくて好きだし、そういう作品に接してる時間の方が多い。
また技術的なことや時代背景や人となりについて勉強すれば、
より理解も深まるし理解した気分にもなる。(勘違いの可能性もあるが)
なによりそういう作品は楽しい。
自分はここの住人さんのように専門的に芸術と向き合ってる人間では
ないので、「芸術とは?」と聞かれるとああいう答えになるだけ。
>この考え方で行くと全ての主題労作的な作品はダメと言うことになってしまうと思います。
そういうつもりは無いけど、世の中には職人と呼ばれる人たちがいるから。
もっと長文にすれば誤解もないんだろうけどね。
自分はこの板常駐の人間じゃなくて、普段のスレで反論される場合は
「何言ってんだ葉か 厨房氏ね」で終わりなもんで。
自分の好きな音楽というのはBLUESなので、クラシックとはまったく視点が違って
「偽装」も何もないから。視点の違う所から見た一個人の意見にしてくれんかな。
多分に噛み合わないと思うし、同じ事を違う言い方になりそう。
スレ題から逸れると申し訳無いので後はROMります。
- 20 名前: 9 投稿日: 2000/12/16(土) 17:20
- 19=9です。
- 21 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 19:27
- 壮大な暇つぶしプロジェクト
- 22 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 19:54
- >21
2ちゃんねるで何したいの?
- 23 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/16(土) 20:28
- >>22
暇つぶし、でしょ(w
- 24 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/12/16(土) 23:15
- 岡本太郎「今日の芸術」
- 25 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/17(日) 00:04
- けっこうみんな喰らいついてくれてて嬉しいな。
>>名無しi486さん
私個人としては、ほんとに音楽に転んでも、演劇に転んでも何でもいいので、
気にしないで何も考えずがんがん行ってくださいね。
>>6さんの話の、ヒエラルキーのところ、学びました。
今はなんでも芸術になってしまう。
そういうのって芸術にとっていいことなのか、どうなのか。
ロシアンアヴァンギャルドって極度に制限された中で生まれてきたものですよね。
・・・。
>>9さん
私もそう思う。仏像って自己表現ではないと思う。
しかし彫師の個性って自然とにじみでてしまうじゃないですか。
それはおいといて、でもやはり信仰から生まれたものであって、
私が、私が、というあつかましさではないんですよね。
ところで、西洋の彫刻って命が吹き込まれたのってルネサンスからの気がする。
中世ロマネスクはちょっとおいとくとして、
ギリシャ、ローマの彫刻って本当に理想物を表現したと言う感じで、
何か神々しいのですが、仏像を見たときに感じる胸をつかれる感じが無いと思う。
しかしギリシャの一連の彫刻は、何か極めていてすごいとは思うんですけど。
>そういうつもりは無いけど、世の中には職人と呼ばれる人たちがいるから。
もっと長文にすれば誤解もないんだろうけどね。
是非誤解を解いてください。
何故何かに向かわずにいられないんでしょう。
芸術って私たちの飢餓感を癒してくれるものだけど、じゃ何に飢えているんでしょう。
>某スレの知識偏重さんは噛みついてこのスレ壊さないでね。
これはダーメヨ
- 26 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/17(日) 00:11
- >>ひよこさん
芸術は一瞬を永遠に変えるもの。
そうか、つまり芸術家は永遠にすることによって、
自分の感動を人に伝えようとしてるのかな。
てことは私たちの飢餓感ってコミュニーケーション・・・?
>>8さん
ワラタ
>>18さん
私の科学論のレポート手伝って。(相対性理論・・・)
- 27 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/17(日) 00:23
- 作品と1対1の個人的な関係が基本なんだろうけど、
それと同時に他の人の受け止め方にもすごく興味ある。
よく考えてみると、自分にとって芸術は、単に人の内面
の事をよりよく知る為の手段の一つなのかもしれない。
と、今日、忘年会の席で考えてた ( ・д・)
- 28 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/17(日) 00:28
- 私も忘年会あるんだけど、
デユエットしなきいけないんだよ〜
練習しなくちゃならん
- 29 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/17(日) 02:36
- 今ふと思ったんだけどさ、
芸術が生まれた瞬間って、人間の祖先がはじめて道具を作った時なのかな。
- 30 名前: ちんさん 投稿日: 2000/12/17(日) 02:55
- 人間のためでしょう。幸せな人生を送るために・・・。人の生さえも芸
術的である。
- 31 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/17(日) 04:38
- >>29
レゾンデートルに疑念を抱いた瞬間なのでは?
- 32 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/12/17(日) 05:10
- >>24
知ってる。読んだよ。
「失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。
自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上に
あらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。」
のくだりでしょう?
45年も前に著されたとは思えないほど新鮮だった記憶があります。
- 33 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/17(日) 05:15
- 「藝術」の定義やその有用性はともかく、「創る」立場からすると
一作一作を完成させた途端に、それが自分の垂れた「糞」に見えて
しまいます。強いていうと、「糞」=無用のもの。
しかし、「糞」にも形・色があり、おまけに臭いも発します。
自分の「糞」に愛着を感じるときも無いとはいえませぬが、
たかる蝿ゆえに、知らんぷりを決めこむ訳にもいかず。。。
水洗の発達した現代、流れてしまって欲しいと思うこともしばしばです。
- 34 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/17(日) 05:56
- レゾンデートルって何さ?
- 35 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/17(日) 06:00
- >>34
なんだろう、、、アイデンティティ?
存在理由、かな。
自分はなぜ存在してて、なぜ悩み、なぜ朽ちていくのか?
ちょっとつけたしてみました
- 36 名前: ミミ 投稿日: 2000/12/17(日) 11:11
- レーゾンデートル=存在意義(仏)だにょ?
- 37 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/17(日) 15:03
- >33
作品が糞だっていうのは、
それが昇華の結実だっていうことだよな。
じゃあ文明てのは夢遊病者集団が垂れた
糞の山だっつうことになるねえ。
そんなもんにレーゾン(意義・理由)なんかあるもんか!
- 38 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/17(日) 16:03
- >37
33は自分の創った作品の話してるんだろ?
なんで一個人の私見で文明まで語るのかね?
- 39 名前: ひよこ 投稿日: 2000/12/17(日) 20:20
- 空耳さんって根底に飢餓感をもってるの?
それって普通なのかな。
芸術に飢餓感を癒してもらいたいなんて考えたことなかった。
パンだけの人生、を豊かにしてくれるエッセンスみたいなもの。だな
わたしにとっては。
薔薇園は季節になれば楽しめるけど
季節を待たずに楽しめたら、もっと楽しい。
おまけに作家の感性で、生のバラ園より遥かに感動的に見せてくれる
なんて、超ラッキイって感じ。←これじゃ軽すぎるか、困った・・
そうか、
そもそも、生の薔薇とそれを素材にした芸術作品を比べることが邪道ってことに
なってしまうのかな。
私にとっては自然でも芸術作品でも感動させてくれれば、同じなんだけど。。。
とにかく、喪失感を埋めてくれるんじゃなく
プラスα、足してくれるものです、私にとっての芸術作品って。
- 40 名前: ひよこ 投稿日: 2000/12/17(日) 20:37
- 芸術を語るとき
作家の感動、が先にあるんだ。。作品を通して
作り手を見ているのかな?普通の人は、
これも、驚き。
作家さんにとっては感動が先にあって、
作品なんて感動を表す手段でしかないのかな?
鑑賞する側としては、作品が先にきてしまいます。
わたしは作品自体に心惹かれます。
その作品自体から発せられる世界観?かな、に酔ってしまうんです。
だから、波長の合う絵に当たると、作品の前から動けなくなっちゃいます。
作り手が誰かっていうのは、あんまり関係ないかもしれない。
作品の背景、作り手の情報は、その絵から、醸し出される雰囲気が何なのか知りたくて
調べはじめるんです。(で、結果として作家さんに惚れることも、多いけど。)
あくまで、作品自体が主です、私にとっては。
- 41 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/17(日) 22:28
- ううーん、私は作る側の人間じゃないからどっちかっていうと、
ひよこさんと一緒なんですが、
飢餓感を満たすっていうのは作る側の人ってこんな感じなのかなあ
という空想です。
私は鑑賞する側だから、作品が最初にあるわけだけど、
作る側は、何も無いところから作品をつくろうって思うわけでしょ?
その原動力って何なのかなあと今考えてたもので。
だから33さんの話なんてへーって思う。
あと、レゾンデートル=存在意義ですか。有り難うございます。
私は、生活用品の中からも美って生まれてくるものだから、
それをつきつめてくと、猿が棒を使った時から始まるのかなって
思ったんです。縄文土器とか。
- 42 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/17(日) 22:50
- >>39
あえて逆言ってみたくなるんだけど…
芸術とは
非常に不完全な社会性と手におえない自我を与えらて
しまった人間のマイナスαの噴出
(の観察)
- 43 名前: ひよこ 投稿日: 2000/12/18(月) 00:26
- >作る側は、何も無いところから作品をつくろうって思うわけでしょ?
>その原動力って何なのかなあと今考えてたもので。
ほんとだ〜、これ生み出した原動力は、何だろーって、考えて
作品見たら楽しめそう。
>マイナスαの噴出
おもろい。
ミケランジェロのド迫力ってそれかな?大噴火してるー
- 44 名前: 素人@芸術家 投稿日: 2000/12/18(月) 10:51
- 起業家や革命家が芸術を必要としないわけではないでしょう。
犯罪者にもいろいろありますし。
>マイナスαの噴出
いいですね。なんか、創作しないでは(表現しないでは)いられない、
って感じがする。
- 45 名前: 1日1画家の1ですが 投稿日: 2000/12/19(火) 00:45
- まだ文章にまとまらない、書き込みたいことがあります。
もう少し後で書かせてください。
- 46 名前: 胃拡張 投稿日: 2000/12/19(火) 05:04
- 芸術のあり方は、今日では自意識への批評的観点抜きには
語れないし、比重もより高まっているようですが、
原初に存在しただろう実用以外の「図・形状の定着欲求」は
たぶん諧謔への賛辞だったと想像してます。
こんにちでは悪貨が良貨を駆逐するのとまったく同じ文脈で
芸術の中の悪意は素朴な美の概念を駆逐しがちだと思います。
その流れを導くものこそ、カルマなのではないでしょうか
- 47 名前: イロゲー 投稿日: 2000/12/21(木) 05:15
- 芸術とは・・・
アコヤ貝が体内に入ってきた異物を芯に真珠を作るように
心に入ってきた異物を芯にして作った、心の真珠のような気がする。
酔ってなければ書けないようなことを書いてしまった。
きっとパクリだな。原典は思い出せないけど。
- 48 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/21(木) 07:29
- 芸術とは・・・
アヤコの中に入ってきた異物が体の芯から快感を呼び起こした。
「ああああ」 声が漏れるのをがまんできない。。
ヒダを刺激しているのは あるいは真珠なのだろうか・・・
酔っていたとはいえ、アヤコは未知の行為にまで及んでしまった。
目の前に差し出されたものをパクリと咥えた。そのあとの行為は
気の遠くなる程の快感に埋もれて思い出せない。。。
- 49 名前: イロゲー 投稿日: 2000/12/21(木) 16:14
- >>48
その情熱と才能を違う方向に使っていれば・・・。(^^;)
- 50 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/21(木) 18:02
- >49
単なる本能じゃん。ネコだって・・・いや、失礼。
- 51 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/22(金) 02:59
- ひよこさんが、自然に感動するように絵画に感動する。
とおっしゃっていましたが、なかなか鋭いことを言っていたようです。
偉大な芸術作品に接したとき、
我々はその芸術家の非凡な創作力に感動する。
しかし既に「非凡さ」とは人間の能力を超えたものであり、
自然に最も近くあることに他ならない。
美はこのような自然が対象の中に象徴されることである。
だって。
ちなみに、この美とは、美学における、
真、善、美の考え方の一つみたいです。
>イロゲーさん
アコヤ貝は真珠を作る時死ぬほど痛い思いをするそうです。
その話を聞いて、なんだかとても胸が痛くなったのを覚えていますが、
芸術家もまた作品を生み出すときは苦しい思いをするそうですから、
その言葉はなかなか興味深いですね。
- 52 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/22(金) 06:37
- アコヤ貝は、
核を入れておくと、痛くてそれから逃れたくて、
必死で分泌液を出して、包み込もうとするんだとか。
真珠は、正に自然が生み出した「美」ですね。
女性の目を捕らえて離さない魔力は、そこにあるのでしょうか。
- 53 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/22(金) 11:24
- 芸!芸!芸術家!芸術家といえば岡本太郎!
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
芸術は爆発だ
ps komekome clubにも芸術家という歌があります。
- 54 名前: ちょっと逆なで 投稿日: 2000/12/24(日) 01:39
- 芸術ぅ? そりゃ、天上世界が息苦しくなった「ばてれんの為」のものでしょう。
したがって明治以前に作られた日本の芸術と称するものは、厳密には芸術ではない。
同様に、ヨーロッパにおいても芸術という概念のできる以前に制作されたものは、
芸術ではない。
なぜなら、これらの制作者の頭の中に芸術という意識はなく、彼らは絵やら彫り物やらを
ただひたすら真摯に作っていただけである。
それを芸術と呼ぶのは、後世のばてれん及びばてれんかぶれがかってに自分たちの作った
概念に当て嵌め、そう見なしているにすぎない。
よって、芸術とはばてれんの詭弁以上の意味はない。
そこにはただ絵や彫り物、音があるだけである。
というわけで、明治からこっち
「キリスト教に改宗しなければ真の芸術は理解出来ない」と、
バカバカしくもその意味では正解を出していた一部の
日本人芸術家達の魂は、その後どこへ行き着いたかご存知の方、
詳細教えて。
- 55 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/24(日) 02:05
- 仏像とかマリア像って別にその宗教に属していなくとも
理解することはできると思う。
何を理解するのかっていうと、わかんないんだけどさ・・・
芸術を理解するというのはどんなことかもわからないけどさ。
ようは何かに突き動かされて無心に彫り上げた彫師に
共感できればいいんだと思う。
- 56 名前: イロゲー 投稿日: 2000/12/24(日) 05:43
- そもそも芸術作品として作られたものだけが、芸術なんだろうか?
浮世絵やイラスト、工芸品などは芸術作品として作られたわけではないが
芸術作品として作られたものと、同等の見方で鑑賞して良いんではないか?
芸術とは必ずしも作品自体に内包されているものではなく、対象物と
自分との関係性にあるのではないか?
そういう意味で“トマソン”だって、充分芸術であろうし、他スレに
あるように“女優、アイドル”や“(自粛)器”を見る眼差しと、
芸術鑑賞とを明確に区別する必要は無いのではないだろうか?
- 57 名前: イロゲー 投稿日: 2000/12/24(日) 06:08
- 56は54の反論のつもりで書き始めたが論旨がずれていってしまった。
改めて、
作品は、作者の製作意図をなぞる見方しかしてはいけないものだろうか?
自分の心情と感応する部分のみを見たり、作品の成立の背景を無視して
現代風に読み替えてしまっても良いんではないか?
現在、優れた芸術作品と呼ばれているものは、作品自体が優れている
だけではなく、現在生きている私達の心に訴えて来るものがあるからであり、
作品自体が現在も生き続けていると言えるだろう。その“生きている”
部分だけを評価する見方も有りだと思うが。
- 58 名前: イロゲー 投稿日: 2000/12/24(日) 06:18
- それよか、どいつもこいつも“ばてれんのお祭り”に浮かれやがって。
け!!
びえ〜ん。
- 59 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/24(日) 07:42
- トマソン、いいっすよね〜
体の緊張が、ふっとほぐれる気がする。
- 60 名前: 逆なで1号 投稿日: 2000/12/24(日) 12:50
- 何とおっしゃるしめこのうさぎさん!
空耳さん、
そもそも芸術という概念はどういう経緯で成り立ったのか?
gorst song氏の講釈をあなたは聞いていなかったのか。
そもそも芸術は一つを除いて一切の「為」を拒絶する。
唯一の「為」は芸術自身である。
芸術はひたすら芸術のための芸術、美のための美を志向する。
なぜか?
かつて美はすべからず神を賛美するためのみにその存在を許容された。
美はすべからず神の意向に沿ったものでなければならなかった。
しかし、作り手達の自我はただ神を賛美するのみではとうてい満たされなくなる時代がやってくる。
かくして、純粋なる美、美のための美、すなわち芸術の誕生とあいなる。
と、いうのはバテレンの理屈。
まして芸術が崇高であるというのも、いまだ神を賛美していたころの尻尾。
そもそも、目の前にある絵や彫り物を愛でるのに、なぜそれを「芸術」であると思う必要があるのか?
絵を目の前にしてあなたはそこに、一本の線の美しさ、一つの色の美しさに魅入られるのではない
のか?
- 61 名前: 逆なで2号 投稿日: 2000/12/24(日) 12:52
- 続き
明治以降日本の、というよりはアジアの作家達は「芸術」という西洋起源の概念に支配されてしまった
結果、自分達の足元を見失った。
明治初期の彫刻界で取り交わされた論争はそのあたりの空気を生々しく伝えてくる。
曰く、日本の彫刻は置物の域を越えていない。真の彫刻とはこの様なものではない。
曰く、根付けは低俗な玩弄趣味の彫り物で、とうてい芸術品とは認めがたく、日本の彫刻界は
早くこの影響を脱しなければならない。
あげくのはてに、彫刻の素材は象牙が良いか木材が吉か、はたまたブロンズの立場は?などという
論争が大々的に展開されることとなる。
これをどう思う?
自分達の足元を見ずに、輸入された概念に躍らされた結果、
日本の芸術家で明治以降、ある分野で世界中から「この人が一番」と評価された人が出た?
北斎みたいに、他国の芸術家達に影響を与える人物が出た?
「芸術」という概念に支配され、それを崇高だと誤解したばかりに、おそらくは世界に類を見ない
すぐれた「美」である根付けや印篭、浮世絵その他もろもろの現代の我々に残されるべき
江戸の遺産は二束三文で海外に流出してしまったではないか。
ちなみに作り手としては、究極的には自分の作ったものが芸術といわれようが芸術でないと
いわれようが関係ない。
ただ、自分の作ったものが、誰かから「うわ、いいね、これ」といわれるのが一番うれしい瞬間で、
芸術と呼ばれると喜ぶのはなんとなくその方が誉められているような気がするだけのこと。
と、いうわけで、芸術に目を曇らされないようにね というオチでした。
あんな電波レスにマジレスがついたのが、ちょっとうれしい。
- 62 名前: 逆なで3号 投稿日: 2000/12/24(日) 13:03
- ちなみにトマソンは、それ自身が芸術品ではない。
それを鑑賞する人が芸術家です。
- 63 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/24(日) 16:50
- >日本の芸術家で明治以降、ある分野で世界中から「この人が一番」と評価された人が出た?
>北斎みたいに、他国の芸術家達に影響を与える人物が出た?
映画はどうですか?
- 64 名前: 逆なで(ちょっとおとなしめ 投稿日: 2000/12/24(日) 17:21
- あっ ほんとだ。
- 65 名前: こりない土人き 投稿日: 2000/12/24(日) 18:15
- たとえば映画でも、今じゃアニメこそ素晴らしい。
とか言われるのは身内に市場を持ってるからこそでしょ?
その昔、パリが自称芸術の都だったころ、
そこの人がフランス的なる芸術とは?とか悩んだのだろうか?。
今のアニメのように身内で消費できるものには
駄作も多いが傑作の生まれる余地がある。
やっぱりお金。国内の経済基盤=パトロンがないと始まらない。
かつて誰も評価したこのない作品の真価を見抜けるという人が
いるのだろうか?
あなたに評価されて始めて意味を持つとしたら
あなたなしには意味をもたない。
地に足が着いてないと、本物にはなれないのでは。
それを本物だと評価してくれる基盤、価値体系がないから。
アジアの作家たちがアイデンティティ追求に走って
ロクなことにはなってないのは何故か?
西洋人に評価されることを意識している時点で・・・
絵画が何かを訴えてくる場合、非言語の情報が発信されているのだろうが
それがそんなにありがたいのだろうか?
- 66 名前: 名無しさんは見た! 投稿日: 2000/12/24(日) 22:09
- あなたは人を殺したいと思ったことはありませんか?
誰にもバレない殺人術をお教えいたします…。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kongen/
- 67 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/24(日) 23:45
- >逆なでさん
厳しい意見有り難うございます。
ただ、私の考え。
確かに今の日本人の「芸術」の大元の概念を作ったのは
19世紀に体系化された思想であることは間違いないでしょう。
しかし、時とともに移り変わり、
現在の私たちの中にある芸術と言う概念はそのままなんですか?
確かに軽率に芸術と言う言葉を使ってしまってことは反省するべきですね。
私は勿論根付を素晴らしいと思うし、浮世絵を芸術であるとも思う。
漫画好きだからあるものは芸術的とさえ言えるものもあると思う。
サブカルなんて言葉は好きじゃないです。
いいものはどんなものでも対等に扱いたいです。
私の芸術は19世紀初頭の思想から生まれた芸術とは大分違った考えだとしても
芸術と呼ぶべきものは存在すると思います。
逆なでさんはどう思われますか?
確かに私達の心を動かすのはその線のなめらかさや色彩の鮮やかさかもしれませんが、
私はその背後に必ず芸術というものは存在すると思います。
私は勉強をすることによって前より少しは他人に自分の考えを
具体的に話せるようになりました。
ちょっと私の中の芸術の概念を言語化してみますね。
最近読んだ本に影響をうけたんだけど・・・
- 68 名前: 名無しさん@一周年 投稿日: 2000/12/25(月) 00:01
- 私の芸術??ウザイ。
- 69 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/25(月) 00:02
- 自然を見て私は感動をします。
自然には二つの種類にわけられると思います。
・アルプスや氷河みたいな雄大で圧倒的な自然
・道端にひっそりと咲いている草花
芸術であることの前提は人工であることです。
人間のつくるものは大概自然に到底及ばないですよね。
最先端の技術を駆使してもアメーバ程度の生物を生み出すこともできないし、
ボッシュやギーガがいくら奇想天外な生物を生み出そうとも、
必ず自然の生み出した生物の方が一歩上行ってるなと思います。
カモノハシとかね!
いくら美しいものを創造しても、夜空に輝く星空ほどに人の心を
激しく動かせるかわからない。
しかし稀に自然を見て感動した時のような感動を与えるものがある。
それが芸術なんじゃないかな。
人工であるにもかかわらず、自然と同質の感動を与えられるもの。
この考え方って最近読んだ芸術学の本に載ってて、
その通りだ!って思ったのでかなり影響されてます。
崇高な自然もあれば、親近感の湧く自然もある。
だから、同様に芸術とは常に崇高であるべきだとは思えません。
なんだか手をつないで歩いていけそうな芸術だってあるはずです。
それが、用の美に通じるのだろうし。
そういうわけで、必ずしも芸術は本人が意図していようといまいと、
生まれてくると思います。
私は新宿の人工的な高層ビル街を歩いていて
ふと何かを感じることがあるし、
軍艦島のようなところにも強く芸術を感じます。
あと、バリカンの形とかにもね!
- 70 名前: わたしはダリ?名無しさん 投稿日: 2000/12/25(月) 00:09
- 書くな。
- 71 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/25(月) 00:10
- みんなーとばして読んでねー。
- 72 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/25(月) 00:45
- 自然はやっぱ神(みたいなもの)が創ったものだから、
人間には今のところは追いつけない。
でもそれはあまりに大きすぎて手に負えない、
というか如何様にも解釈できすぎる。
「芸術」?はそのエッセンスを、個人の関心に従って、
もっと卑近な所まで降ろしてくれるから存在価値があるのでは?
それに自然は多かれ少なかれ世界中にあるから、
人類に普遍的な価値(感覚)を主張てきるのかも知れない。
価値観は文化によって違う。だけど人類文化ってのもあるのかも
バリカンの例は、形の面白さってことでわかるけど
軍艦島の例とか、何か心に響くとしたら、
それはもっと意味的(文化的)な要素ではないだろうか。
個人的な心の屈折や隙間にフィットするから感じるのではないだろうか?
- 73 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/25(月) 07:39
- げいじゅつ 【芸術】
(1)特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、
およびその作品。建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、
演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。
(2)芸・技芸。わざ。「凡(およそ)―は、…切差琢磨の功を積まざれば、
その極に至りがたし/読本・弓張月(前)」
- 74 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/25(月) 07:45
- ぶんか ―くわ 【文化】
(1)〔culture〕社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式
ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。
文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、
個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、
その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
(2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。
- 75 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/25(月) 07:52
- びじゅつ 【美術】
美の視覚的・空間的な表現をめざす芸術。絵画・彫刻・建築・工芸など。
〔fine arts の訳語。明治時代には音楽・文学も含んだ〕
- 76 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/25(月) 15:39
- つまり芸術に自然は関係ないってこと?
- 77 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/25(月) 16:40
- >>60
「すべからず」ってどういう意味?「須く」と
言いたいのかな?ちなみに「須く」は「全て」
という意味じゃないよ。
- 78 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/25(月) 17:36
- 何度も間違うようではタイプミスではないな。
すべからず と覚えているような人の書きこみは信用できないというか
読む気になれないな・・・
- 79 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/25(月) 18:12
- 小難しいことはオレはわからねーけど、人類がいつごろから
何かを美しいと感じるようになったんだろうとは時々思うね。
ネアンデルタール人が死者を埋めるとき、その周囲に花を置
いたという話は聞いたことがあるけど(花粉が発見されてわ
かったらしい)やっぱりきれいだと感じたから置いたんかな。
サルやオラウータンは花を見て感動したりしてないだろ。多分。
音楽でも、なんでオレがただの空気の振動で感動するんかわか
んねーんだよな。あ、視覚も同じかなあ。電磁波で感動してる
んか。ますますわからんのう。
- 80 名前: 逆なで(轟沈) 投稿日: 2000/12/25(月) 18:18
- あれ、なんだぇ あの人ぁ(>>60 61 62)。
あんな所でいきんで大見得切ってるけど、ふんどしの紐はずれてるよ。
おーい、おまぃ! こっちぃ来てごらん。
ほらね、バカが一匹見えるだろ。
あっ しょうがねぇなあ。 自分のふんどし自分で踏んでひっくり返っちゃったよぅ。
ははは、バカ。
ああ、昨日は詭弁を弄そうとして「芸術」にファインとか「純粋」とか書かなかった
ばかりに、ものの見事に足をすくわれて轟沈してしまった。
みんな、失敗に目をつぶってくれてありがと。
ちなみに、いわゆる「ファイン」以外の分野なら、映画、アニメ、漫画、ポップスその他、
世界のいたるところへ影響を及ぼす分野も人もたくさん存在します。
日本のポピュラー音楽がアジア圏に与える影響って、想像以上に大きいしね。
- 81 名前: 逆なで 投稿日: 2000/12/25(月) 18:19
- さて、親切な空耳さんへ
大自然は芸術か?
たしかに自然の芸術という言葉は存在し、何気なく使われている。
しかし、ここであえて常識に疑いをはさんでみる。
感動的な、ほぼ誰が見ても美しいと認める自然は存在する。
しかし、自然に芸術などという意識はない。 それどころか、意識そのものがない。
これは、概念に反する(>>73参照)。
では、なぜ人間は自然を芸術と認識するのか?
これはトマソン同様、「見立て」に属する行為ではないのか?
赤瀬川氏もいっているように、茶の湯などで、鑑定家が自分達の美意識にそぐう物を
持ってきてそれなりの意味を持たせる行為ね。
いってみれば芸術ではなかったものを芸術と認定する行為。
この場合、誰もが鑑定家になれるかというと そうもいかない。
なぜなら、現実的には人それぞれ好みが別れるところであるため、
「この松はもう少し曲がっていたほうが良い。」
「なに言ってんだ、この素直さがわからねぇのか!」
といったことになって、収拾不能になることが目に見えているから。
したがって、比較的だれもが納得できる結果をそれなりの理屈とともに提示する人が
必要となってくる。
これが鑑定家。私はここに評論家も含めて良いと思う。
したがって、自然物や芸術を意図していない創造物を
芸術であるとして鑑賞するには、どうしても上に書いたようなどうでも良いと私には思える観点
が、入り込みやすい。
ここいらが私をして 「君たち、それで良いのか!」と大見得切らせる原因となる無駄な議論を
生む原因ではないかと思うのだ。
別に、芸術だなんて呼ばれなくても良い物はたくさんあると思う。
自分自身で「これいいじゃん」と感じた物に自信を持てば、少なくとも浮世絵の流出みたいな
ことは避けられるんじゃないだろうか。
- 82 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/25(月) 22:01
- >>81
うーん。どうも読みにくい文章なんだよね。
- 83 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/26(火) 00:25
- >逆なでさん
えーと、私は別に自然が芸術だと言いたかったわけではなくて、
芸術とは人工でありながら自然の生まれながら持つ何かを持ちうるもの
ということを言いたかったんです。
つまり基本的に(自然>人工物である芸術)なんです。
そういう意味で、土人さんの卑近な形でっていうのは
さらにいい事を言っていると思います。
もっとも、これは私が思いついたことじゃなくて、
渡辺護さんという人の芸術学という本に書いてあったことです。
私はこれはすごいいいことを言っている!と思ったのでここに書きました。
逆なでさんはぶっちゃけた話、浮世絵とか根付は芸術ではないと思っている。
しかし、芸術でないからといってその価値が無視されるのはとんでもない。
それらはとても重要なものだ。
だから、芸術という言葉に不信感を持っているんですよね?
でもだからと言って、芸術という言葉が嘘になるとは思えません。
芸術という大げさな言葉がいけないのでしょうか。
逆なでさんにとって芸術と言う言葉は無意味なのでしょうか。
自分でも何言ってるのかわからなくなってきた・・・
後、私が何故親切なのかわからないです。
それとトマソンさんと赤瀬川さんって誰ですか?
- 84 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/26(火) 00:34
- >>79さん
そうですよね。私もいつからなんだろうと思います。
それってミソですよね。
ちなみに大地の子エイラって小説があるんですけど、おもしろいですよ。
(ネアンデルタール人に育てられたクロマニヨン人の話)
ところで本当に動物は自然を見て感動しないのでしょうか。
こんなこと言うとまた馬鹿め!て言われそうだけど。
なんか脳波とかとって精密に調べて欲しいですね。
モーツアルトを聴かせて育てた豚はよく育つ。なんて言いますけどね。
迷信かもしれませんね。
>土人さん
文化的な面も無視できないでしょうが、
造形的に廃墟ってとても美しいと思うのですが・・・
どうでしょう。
- 85 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/26(火) 03:13
- >>83
赤瀬川原平についてはここを見よ。「老人力」とか
「新解さんの謎」っていう本聞いたことないか?
オレはすごい好きだなあ。この人。笑えるから。
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/people/g-akasegawa.html
- 86 名前: ごるご13 投稿日: 2000/12/26(火) 03:33
- >>84
「廃虚の造型が美しい」から「感動」するのではなく、廃虚を見つめる
ことによって廃虚についての認識の領域が拡張する、(だから感動する)
のだと思う。
ある作品が「美しい」から感動するのではなく、その美しさが「孤
立」しているから感動する。
「美しい」とひとくちに素朴にいってしまうと、何かメルヘンチッ
クなお花畑のようなものを連想してしまうが、犬のうんこやにんげん
の死体も包摂してしていくような、お花畑の不断の自己増殖こそが
「芸術」なのではないか。
- 87 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/26(火) 03:42
- 感動と言っても結局脳内で化学物質が分泌されてるだけ
だろ。
- 88 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/26(火) 04:25
- >芸術ってなんの為にあるとおもいますか
伝達です。
作り手の意図どおり解釈されなくても、逆に意図がなくても。
発信元があり、受け手に何か感情が生まれればそれは存在することになる。
同じ理由で自然の中にも芸術はある。
鳥などの発情期のサインは人間の価値観にも容易に伝達される。
それに受け手が何か反応した時点で発生するのです。
(((((電波発信中です)))))
- 89 名前: よっちゃん 投稿日: 2000/12/26(火) 04:32
- 名前いれ忘れた
- 90 名前: イロゲー 投稿日: 2000/12/26(火) 04:45
- テレビで夕日を見つめる猿の映像を見たことがありますし、
自分の巣を青いもので飾り立てる鳥もいます。感動というほど
強いものかは解りませんが動物も何らかの美的感情を持っていると思います。
また、鳥や魚の中には、相手の羽やうろこの色の良し悪しで
配偶者を選ぶものがありますが、それこそ美的感情の
萌芽に他ならないと思います。
それどころか、私達が美しいと思う感情の中には、自分の体験や
社会の影響によって、そう思うように学習したこと以外に
本能に根ざした美的感情があるのではないかとすら僕は思っています。
僕は、赤瀬川源平は日本の現存の芸術家の中の
最高峰の中の一人だと思っています。
(芸術家の範疇に入れることに躊躇がありますが)
ハイレッドセンターのころの事は本でしか知りませんが、その後の
1000円札、桜画報、とまそん(と路上観察)、宮部外骨ブーム、老人力と、
次々と社会(趣味人)のツボを付くのはタダものではない。
(文章の巧さもただ者ではないと思う)
なんて事を考えていながら85さんの書き込んだサイト知りませんでした。
85さん、サンキュ
- 91 名前: イロゲー 投稿日: 2000/12/26(火) 04:49
- “動物の美的感情”と“赤瀬川源平”の文章は別々の
文章だったのに、なぜか引っ付いてしまった。
読みずらくてごめんなさい。
- 92 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/26(火) 06:26
- いよいよ議論が広がってきたような、展開が楽しみ。
このスレが立てられたとき、自然をどう捉えるのかなーって一人唸っていたもので
空耳さんの「自然>人工物である芸術」発言に、ほっとしたところ。
自然の美しさ、その秩序と法則を見ると、それらが勝手に、偶然にできたと考えるには、
余りにもよくできすぎている、とか思ったりする。神の手を感じる瞬間かな。
廃墟に美を感じるのは、何故だろう。
人工物である芸術に、年月という神の手が加わったのですから、
これはもう最強な組み合わせです。てのはどう?
そういえば、陶器も年月を経ると色が落ち着いてくるとかいいますね。
ヨーロッパでは、庭園にわざわざ廃墟を造ったりしますし。
動物が自然に感動する、動物も何らかの美的感情を持っている、となると、
人間の目を意識するだけじゃなく動物の目を意識した芸術家とかも、そのうち出てくるのかしら。
そういえば、昆虫の目って人間とは捕らえ方が違うのですよね。
>なんか脳波とかとって精密に調べて欲しいですね。
動植物の視点って、解析したら、素晴らしい芸術家 だったりして・・
- 93 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/26(火) 06:35
- あ、92は、ひよこです。
- 94 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/26(火) 09:06
- 美術というのはカテゴリーにすぎない。
ただの道具でなく何か高級で精神的なものであるという主張。
創った作品の価値を上げ底するキャッチフレーズである。
しかし「芸術」をあらゆる物に適用していくのなら
ついに価値のない言葉になってしまう。
すでにそうだという説もあろうが
「芸術」=わけわからん
というレッテル張りによって多少はもっているのではないか。
それに名づけってのは政治的な力の行使だから
芸術を叫ぶやつは何処まで行ってもうさんくらい。
かつて西洋が成し挙げた価値基準を利用してるだけ。(極論)
虎の威をかるなんとやら。
商業的に成功している作品なら
芸術だの日本の心だのという余計な箔付けを必要としない。
自分はここから抜け出せない。
- 95 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/26(火) 10:18
- 廃虚って、昇る太陽のような有無を言わさない根源的な衝動とかとは
ほど遠いような。第一、廃虚は壊れてるから造形美もなにも・・・。
余計な文化抜なら、基本的には完品を美しいと思う筈。
生物学的にも種の保存上も、完璧な美こそ欲してやまぬものだろう?
栄枯盛衰。ついに自然に飲み込まれんとする状態を
滅び行くことへの感慨をもつ人間が、自分の死に重ねる時に
グッとくるのではなからうか。
死を連想させるから古いものなんか大嫌い、最先端がすべてという人も割といる。
ほら、この社会だって老人を隔離しているところあるし。
人間だって神の芸術品だろう?なのに。
- 96 名前: 逆なで 投稿日: 2000/12/26(火) 14:59
-
あっ 土人きさん説明うまい。
発言はこうでなければいけない。 反省>逆なで。
さて問題は、「芸術」という概念のとらえかたに大まかに二派あるように思えるのだ。
一つは空耳さん、イロゲーさん、ひよこさんのように
○美(あるいは感動)=芸術。(と、とれるのだけど、これでいいのかな?)
もう一つは私や土人きさん(ごめん、これ、なんてよんだらいいの?)のように、
○芸術=物に対する見方の一つ。
で、ここで空耳さんや他の方々に問いたいのだが、
美=芸術の立場を我々のように、唯一無二の神とそれに基づく絶対的な判断基準を
持たない日本人は、
「森羅万象すべてこれ芸術」と言わなければならないのだが、その覚悟はお有りか?
もし、確信をもってそう言い切れるのならば、それはそれでアリだと思う。
逆に私や土人きさんのような考え方をすると、芸術という考え方を一度頭からDelete
して、一から自分たちの美のありかたを自分たち自身で組み上げなければならない。
なぜなら、美に対する日本人としての価値基準は明治維新と、大震災、敗戦によって、
滅びてしまったようであるからだ。
そうしないと作り手たちは、永遠に「西洋美術の模倣」という呪縛から抜け出すことが
できない。
私はその覚悟をした。
みなさんどう考える?
- 97 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/26(火) 19:57
- もともと「き」です。某所で土人呼ばわりされたので、
面白がって頂いた。強いて読めば「どじんき」
「西洋美術の模倣」でも西洋への憧れは模倣ではない。
このけして手のとどかないものへの渇望それ自体は
(そんなモノはこの世に存在しないから幻想の中だけにあるのだが)
オリジナルかも(笑)
そしてそれには市場もあります。
(例、少女まんがの金髪の日本人など)
ホントは自信ないのよ・・・美への感動が
イマイチよく判ってないから理屈をこねてる訳で、
それはそれで真実らしいものへ到達できるんだけど
へ理屈を越えて、美を語りたいのだ。
だから書き込んでる。撃沈希望。
- 98 名前: 逆なで 投稿日: 2000/12/27(水) 01:01
- 土人きさん。
ああ、そういう意味でしたか。
私もいわゆる西洋美術は結構好きなほうです。
ガキのころピエタを見たときには涙が止まりませんでした。
「不真面目な仮面」とか。
じゃあ、なんでそのまま(今の日本社会に適応しやすく)健全に育たなかったというと、
....ちょっと、長いので御退屈ならば飛ばして下さい。一人言です.....
私が厨房のころ、フォルクローレなんてものがはやりましてね。ごく一部ですが。
私は楽器を買って、さっそく始めたものです。
ええ、本物の厨房ですからそれこそサルのように練習しまくりました。
その甲斐有ってちょっとはうまくなり、来日したプロ(当時は結構 囲む会みたいなものが
あったのです)の前でやっても、お世辞交じりながら感心させるところまでいったのです。
さあ、もう当時は厨房ですから、私は舞い上がりました。「将来はこれで食ってやる」なんて。
でもね、厨房なりに私は考えたのです。
「ここで、自分がいくらうまくなっても、本場からきたヘタクソにもかなわない。
彼らの音は本物で、自分の音はいくらうまくなってもレプリカだ」って。
- 99 名前: 逆なで 投稿日: 2000/12/27(水) 01:02
- やっぱり、彼らには彼らの文化、伝統に根ざした音があって、よその人間がどうやったって
超えられない物ってあるもんです。
享受するのは良い。趣味でやるのも良い。
でも、自分の人生かけるもんじゃないって、そのとき悟ったんです。
自分が人生かけるなら、自分達の方法でって。
これが、その後長い時間かけて考えた結論です。
だから、別に空耳さんたちが間違っているわけじゃあない。
彼らは享受する立場であり、趣味の人がほとんどでしょう。
まあ、それを分かってやってるんだから逆なでの発言は、はっきりいって荒らしと変わらない。
そろそろ、大人げないことは止めて、口を閉ざそうと思います。
昔の人がいったじゃありませんか。
口の回る奴ほど筆がまわらないって。
私は、自分の方法を実践すべく、この板を落ちます。
- 100 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/27(水) 16:29
- 逆なでさん
えっつ、もう落ちちゃうの?それは残念です。
自らの文化に寄って立つにしても、
ナショナルに概念にもまだまだ落とし穴はあるわけで。
フェロノサ以来、日本美術に日本的なるものを求める流れはあったし
戦後でも岡本太郎の縄文回帰やらもの派やら前衛書道やらかんやら
それらは何らかの形で伝統に帰り、歴史的要素をクローズアップしてきたわけで…
あるいは現代、商業的に成功しているあらゆることが新たな日本文化とも言えるし、
西洋崇拝丸出しの漫画・アニメにしても(話を分かり易くする仮定)、それもまた(誇るべき)日本文化に違いない。
西洋の規範に立つことも、国粋的な規範に立つことも避け、
かつすべては個人主義にすぎないと逃げてしまわないのなら、
選択肢は、なかなか困難に思われます。
自分って一体何でしょう?我々って何でしょう?
だけど…。それでも実践しようとする人間を、基本的には尊敬します。
ごくろうさまでした。
なんだかんだ言って実践する人間が一番偉いのだという認識を、実践する人は変える必要はないと思う。
あなたの実践の成功を祈って。
- 101 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/27(水) 16:37
- 感傷的な思考の人間ばかりなので、いまいち面白みと深みにかけると思った。
- 102 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/28(木) 11:39
- もっとキャラを立てんかい!と?
- 103 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/28(木) 18:02
- ちがうだろが
- 104 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/29(金) 02:27
- なんとなく、逆なでさんって思いつめた感じがするなあって思ってたけど、
作る側の方だったんですね。
私の態度をなんだかぬるいと思われたのも当然かもしれない。
実際ぬるいのかもしれないのだから。
荒らしでもいいから色々書いて欲しいのに。
ていうか、別に全く荒らしではないよ!
森羅万象是全て芸術ナリ。
ってすごい言葉ですね。確かにこう言うのはものすごい勇気がいります。
私だってカシニョールとかポストモダンとかくだらないって思うけど、
例えば、そういうバブルの産物みたいなものをありったけかき集めてきて
積み上げてみたらなにやら感動みたいなものが生まれるのかもしれない。
廃墟の話はなんでこういう話になったのかよくわかんなくなってきました。
土人きさんのおっしゃるとおりだと思います。
バリカンとは何か違うものが、造形美以外の問題が一番大きいと思います。
しかし完成品を最も造形的に美しいと感じるかはわかりません。
李朝の美しさとかは不完全なものの持つ現れだと思います。
私は壊れたものや古さびたものの持つ色、形自身にもおもしろさがあると思います。
しかしそれの持つ性質も無視してはいけないと思います。
- 105 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/29(金) 02:58
- 芸術を一つの見方にすぎないとすること。
芸術は確かに存在するとすること。
芸術は本当は存在していないのかもしれません。
しかし、表現家達の理想郷のようなものとしては存在するのかもしれない。
今現在無くとも、アーテイスト達はそれを目指してつっぱしってるの
に違いないと思ってた。
例えば、浮世絵のようなファインではなく、サブカル的なもの、
職人芸、そういうものだって、
ある種の目指す到達点はあるはずです。
だからこそ、神業、とか言う言葉が職人の世界にはあるのでしょう?
確かに19Cの西洋において芸術という考え方は体系化されたけど、
(かなり傲慢なものであったようだけど)
東洋にだってだいぶ違う意味かもしれませんが、
同様の「理想郷」を賛美する気持ちはあったと思います。
悟りもその一つではないですか?
むしろ私のイメージとしてはこちらの方が近いかもしれない。
逆なでさんのやろうとしていることは、とても新鮮に思えます。
だから、お聞きしたいです。
芸術は単なる西洋からの輸入に過ぎない見方にすぎないとしたら、
逆なでさんは何に向かって創作なさっているんですか?
それともどこにも向かっているわけではないのでしょうか。
あと、最後に、ナショナリズムがどうのというところ。
逆なでさんは民族性は必要不可欠だとおっしゃっているんですよね?
一方土人きさんは国粋的な規範に立つ事を裂けるとおっしゃっていますが、
私の読解がまちがっているんですか?
- 106 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/29(金) 03:08
- >ひよこさん
そうですね。時の侵食というものが与える効果って
単なる感傷的なものだけじゃなくて、それだけで面白みみたいな
ものを与えると思うんです。
>よっちゃん
伝達ですか。
今は芸術は何の為にあるのかっていう話の手前で足踏みしている状態です。
芸術なんてそもそもあるのかって。
でも伝達、コミュニケーションとして存在するという考え方は同感です。
- 107 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/29(金) 13:49
- 「芸術」はしょせん西洋のモノにすぎない。
という所まではすぐなんだが、そこから先が・・・。
じゃあ、我々って何だよ?となる。それを過去に振り返っても
うさんくさいだけだし(今に活きていない)。
西洋的価値観が支配的となった現代日本人のリアリティー
を言えば、西洋のマネゴトになってしまう。
これを解決する方法は一つ。日本がもっと経済力をつけて、
文化的にも世界の中心になればいい。日本の価値観を世界中に押し付ければいい。
そうすればローカル性に悩まされずにすむ。
・・・となってしまって袋小路状態。
- 108 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/29(金) 18:54
- ああ、せっかく自分じゃあ「決まった!」と思ってカッコ良く書き込まないつもりだったのに。
今見たら土人きさんが危なくなってる。
私のせいかな。
おーい土人きさんや! そんなに悩むことはないって。
西洋の物を思いっきり楽しんで良いんですよ。
ナショナリズムは格づけから発生する。
本来どちらが優れているなどと考える必要のない物(例えば文化とか)を、
どちらが(主に自分達が)一番。あとは二流....。
などと考えて一喜一憂するから訳の分からないことになる。
享受するには何よりも「自分の」好き を優先させればノープロブレーム マイ フレンドです。
西洋人の物の見方ではなく、自分達の見方で。
ヨーロッパやアメリカで「クソ」とされている作品でも、
自分達が見て「良し」と思えば、素直に評価できれば、その方が良いじゃあないですか。
「ニッポンジン ハ ゲイジュツ ワカラナイ」などとくちばし挿んできたら、
「なにいいやがる、このばてれんめ!」です。 恐れ入ることなんざありゃあしません。
- 109 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/29(金) 18:56
- 空耳さん。
日本にも当然、画家、画工や彫工などに人たちにとって、目指すべき高みはありました。
それは見かけ上、芸術にとてもよく似ています。
でもそれは同じ物ではない。
私はそれを 平行進化 と考えています。
イルカと魚竜は見かけ上とても似ています。
でもそれは実際には、進化の過程で大きくかけ離れたまったく別の動物です。
いくら似ているからといって、魚竜を論じるのにイルカをあてはめれば、判断を大きく誤ると思うのです。
さて、それでは私の目指すもの.....、
それは言葉の中にはありません。
と、いうよりもこれを言葉で表現できる才能は、私にはありません。
あえて言えば明治からこっち、日本人がサボってきた「生きた」伝統を現代につなぐ作業というか....
ほらね、なんかとても大仰でしょう。 そんな大仰なことじゃあないんです。
そうですね、私は時々考えるのです。
あの北斎翁が今居たら、いったい何を描くんだろう。 羊遊斉は何を作るだろうって。
ああ、やっぱり意味不明ですね。
それでは。
- 110 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/30(土) 00:58
- そっかー
>それは見かけ上、芸術にとてもよく似ています。
>でもそれは同じ物ではない。
>私はそれを 平行進化 と考えています。
ここわかりやすかったです。
私の意見を言いますと、昔はきっとそうだったかもしれないけど、
私のような無自覚に芸術という言葉を使う現在の日本人の多くは
こういう職人的な高みと19Cのヨーロッパ思想は混ざってしまっていると思う。
むしろ日本的なものの方が強い気がする。推測ですが。
研究者の方やアーテイスト達は区別していると思うけど、
実際はそんなところじゃないかと思う。
だから文献の中ではそうであっても実際の芸術の用いられ方が重要なのだと思います。
逆なでさんはファインをやっていらっしゃる方ではないんですね。
北斎が好きだという言葉からもそう思います。
私は、昔から職人の持つある種の禁欲さというものを愛していて、
例えば焼き物なんかでも、作家ものとそうでないものがありますよね。
なんかで読んだんですけど、生活の道具をずっとつくっている職人さんがいて、
何十年も同じすりこぎをつくっているんです。
それがとても美しいものなんですって。
うまく言えませんが、無心とは美しいものだと思いました。
(ちょっと魯山人とかと比べてしまった)
考えてみれば、あまたの中国磁器の宝物は無名の職人達の手によって
生まれたものですね。仏像もそうですね。
実は、恥ずかしいのですが、私も卒業したら職人系の修行をすることに
していまして、だから本当は逆なでさんの気持ちはわかるような気もします。
逆なでさんはもしかしてすごい恥ずかしがりやなのではないですか?
いや、自分のやってることはそんな大層なもんじゃないんだ、
と言う裏からは自分を飾り立てることへの拒絶が感じられます。
作る側の人間はそれでいいと思う。
でも、いくらすりこぎの職人さんが自分のはただの生活雑貨だ、と
謙遜してみせたところでその素晴らしさは中からにじみ出てしまうもの。
その高みを使う側が感じてその職人さんに感謝していう時に使うべき言葉は
もしかしたら「芸術」ではないのかもしれないけど、
しかし今の私はそれしかそのにじみ出るものを表現する言葉を知りません。
私が見る側の人間で、感動してこれは芸術ですね、と言った時は
もしかしたら感謝の言葉なのかもしれない。
逆なでさんは芸術という言葉に踊らされて多くの浮世絵が流出してしまったと
なげいておられましたが、私はそれは反対なのではないかと思います。
漫画で読んだことなんですが、
日本では江戸の頃から浮世絵は単なるイラストレーションだと思われていたので、
あの頃の肉筆画や浮世絵で保存状態の良いものはほとんど無いとありました。
結局そういった既成概念から外れていた西洋人が真価を理解しなければ、
今やぽそりとも残っていなかったかもしれない。
それが職人の運命だと思います。
使い倒されて、使い倒されて、いつかは消えてなくなってしまう。
ガラスケースにも飾られないかもしれない。
それを覚悟しなければ駄目ではないのでしょうか。
北斎とて今現在美術館に飾られているなんて知ったら
びっくりするんじゃないかな。
だって焼き物の包み紙に使われてたんだよ!
かっこよくしめたのに出てきてくれてありがとう
そしてさようなら(><)
(一度やってみたかった)
またここでもどこでも私がぬるいこと言ってたら一つ締めてやって下さい。
というかそんなこと言わずに。
名無しさんはダリ?でもいいですから。
- 111 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/30(土) 01:28
- ナショナリズムうんぬんについてなんですけど、
私は日本対西洋の対立構造で考える必要は無いと思います。
元は西洋から発信されたものであっても今現在自分の手元にあるものを、
出自が違うからといって拒絶する必要は無いと思う。
何故なら西洋とは完全に異質なものではなく、自分のバックグラウンドの
一つだから。
拒絶しているうちはナショナリズムの格付けから逃れることはできないと思う。
多分、土人きさんがこだわる理由はアイデンテイテイーの問題だと思うけど、
私大学受験の時の小論文でさんざんこの問題について考えさせられまして、
自分なりに結論を出しまして、
国家に自分のアイデンテイテイーを求めるのはやめようと思いました。
結局それは楽だし、気持ちいけれど、でもそれだけのような気がしたから。
だって、日本の考え方が流布したらいいと言う考えは、
むしろ土人きさんが自己のアイデンテイテイーに無自覚でいられないという
葛藤の現れだということはすごくわかるし、共感すらするのですが、
戦争と変わらないです。
例えそれが経済戦線であったとしても、
そういう考え方でいつまでもいたら、永遠に戦争はなくならないです。
それとも戦争なんかなくなるもんかとあきらめてしまっているのでしょうか。
そもそも国家なんて幻想にすぎないでしょう。
地域ほどの根拠も無い。
どうでもいい力の関係で決まってくる。23分間の奇跡という話がありましたね。
幻想から生まれてくるものもあるだろうけど、
ほんと自分のアイデンテイテイーをかけるほどのものじゃないです。
システムとして利用するのは手だけれど、人間は長いことそれに縛られすぎた
と思います。
しかし、縛られていたのがあまりにも長かったから、
それを当然のことだと思っている。
そこから脱却するのは難しいけれど、しかし理想として私は目指しています。
オリンピックなんかで世界新記録が出たらみんな嬉しいでしょう。
日本人じゃなくとも。
日本人が金メダルをとって喜んでる時の自分より、
マイケル・ジョンソンが世界新を出した時喜んでる自分の方が
いいな。巧くいえないけど。
とりあえず、日本のわびさび、茶道や華道は日本人の誇りだ、
なんて言ってるやつを見るとばか!と言いたくなってしまいます。
- 112 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/30(土) 02:43
- 空耳話長いです。
- 113 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2000/12/30(土) 11:23
- 空耳の長い話オッケーデス。
- 114 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/30(土) 17:27
- 確かに、国際交流の乏しい時代には、文化相対主義を言っていられたかもしれない。
しかし今となってはグローバル化の中、世界の文化は影響し合って、
最終的には一つの文化に向かって収斂しそう。
だから「芸術」という制度について、伝統の存在について、懐疑的です。
神業と呼ばれる境地もある。曲芸と言われることもある。
それを別ける(価値付ける)のは文化であって、文化が消滅したら、
正当に評価される基盤を失ったら、あやしいものです。
古き作品が、再び別の文脈によってクローズアップされるか否かも
時代が決めることで…。
それでも「境地」を語ってもらってかまわない。
なぜなら新しい幻想は、創造者の手にあるからだ。
幻想の積み重ねを文化といい、文化の厚さは即物的な力にもなりうるから。
ようわからんが壊すには惜しい、と思わせれば日本も助かる見込みがあるかも。
- 115 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/30(土) 17:27
- 「芸術」の意味の混乱は、美味い説明です。
確かに、より良いものを目指すのは当然のことだし、また素晴らしいことでもあります。
芸術という言葉のもつ永遠性を諦めて、消えては現われる泡にすぎないというのなら、
それは潔い態度です。そして日本人という立場を超越するというのも素晴らしい理想です。
しかし国家も幻想の一つです。では根をどこに持つか。いわゆる地球人ですか?
しかし文化基盤を抜きにした、普遍的な美(芸術)はありうるのでしょうか?
何らかの立場を洗選択することによる戦略(ビジョン)なしに他と向き合えるのでしょうか。
- 116 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/30(土) 17:35
- 洗濯くうっ(泣)→選択
あ、ご心配なく。とりあず各種美術を楽しもうとしてます。
しかしふとよぎる不安。
自分は幼稚園時代のダリが始まり。「ああ、この絵のなかに入りたい。そして地平線の向こうまで歩いていきたい。」
という異次元への憧れが全てでした。
今でも理屈以外で「感じる」とか言うなら、絵の世界観に感じるのがすべてで、
美的に感銘するというのは、未だに理解できないままである。
- 117 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/31(日) 01:33
- いや、文化は存在しますよ。
アイヌ文化、沖縄文化、関西文化、関東文化、、、、
でもそれは、とても複雑すぎて、国なんていうものにおさまりきらない
と思う。
文化で国境が決まっていたらこんなにたいへんでは無いと思う。
でも現実はそうじゃない。
何かで読んだけど、ある人が辞書の日本文化のところの記述を頼まれたんだけど、
結局そんなものは無い。と書いたそうです。
だから、私は日本文化というものに懐疑的なんです。
- 118 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/31(日) 01:57
- 土人きさんの、一つの文化に収斂しつつある、というのは私も考えたことがあります。
この言葉をきいて、何を土人きさんはあせっていたのかわかりました。
話が全部一つにつながった気がします。
確かに、相対主義なんてぬかしてる場合ではない。
文化はどんどん融合して、古臭くて力を持たないものはどんどん消えていく。
線香花火の職人は今日本に一人しかいないそうです。
しかし、中国産の線香花火には出ない不思議な火花が出るのだそう。
それも失われていくのかもしれない。
以前土人きさんがおっしゃっていた市場論理ですね。
融合していく過程でどれだけ自分に有利に物事を運ぶか。
世界文化の中にどれだけ自分の日本文化を残していくか。
私は結論から言って、残るべきものは残ればよいし、
その中で負けていくようなものならば、負けてしまっても良いと思います。
日本製線香花火がなくなるのは惜しい。
でも仕方ない。ただ、記録に残していこう。火薬の配合は残しておこう。
それだけです。げたも、日本刀も、何もかも博物館行きですね。
着物を日常的に着ろ、なんていってるおばさんがいるけど、
それは無理。だって、洋服の方が魅力的ですからね。
これは大部分の人間にとって事実です。
着物は特定の場以外では着られないし、世界的に拡がることも無いでしょう。
別に私は構いません。
洋服を自分の文化とすることによって、
西洋の服飾文化が自分のバックグラウンドになるんですから。
ルーツとも言えますね。
なんか言ってることわかんなくなってきた。
土人きさんは、日本がルールになればいいと思ってるんですよね?
でもその日本自体既に西洋文化がかなり混同したものだし、
大体中国文化にとっくの昔に支配されてしまったし、
中国文化はオッケーなんですか?
当時の人はアイデンテイテイーの危機を感じたのかな。
今の自分のいる日本文化が重要なの?
では日本人としてのルーツって何?
結局は全部元から混ざっちゃってるのではない?
土人きさんのアイデンテイテイーの日本文化は、もともと
融合文化でしょう?
この国の文化が魅力的なのは最果ての東の地に流れ着いたすべての
文化を受け止めてきたからじゃない?
融合こそが文化のおもしろみなんじゃないかな。
もっとも純粋培養された文化も魅力的だけど・・・
- 119 名前: 空耳 投稿日: 2000/12/31(日) 02:02
- それと、確かに「美的」に感銘するということは私もよくわからない。
ただ、これだけは確か。
自分は幼稚園時代のダリが始まり。
「ああ、この絵のなかに入りたい。
そして地平線の向こうまで歩いていきたい。」
という異次元への憧れが全てでした。
こういう言葉こそが、あなたの感動を最も率直にかつ鮮やかに
他人に伝達するのだと思う。
とてもいきいきと伝わってきた。
- 120 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/12/31(日) 06:50
- 勘違いの集団スレ
- 121 名前: 土人き 投稿日: 2000/12/31(日) 11:09
- 120。まったくだ(笑)。しかし勘違いせずにはおられない。
結局、現状肯定ということで。あらゆるものを認めて、
山師みたいな態度はやめなさいと。
すべては神の必然であって、どうしょうもない。
この世には善も悪もない。ただ見解があるのみと。
いいのかそれで?そんなのいやだー!!
人間なら無駄な抵抗をせよう!
- 122 名前: 名無しさん@LV2001 投稿日: 2001/01/10(水) 18:05
- ・・・・・・・・1さん・・もしかして賢いとか思ったりしてます?
- 123 名前: 名無しさん@LV2001 投稿日: 2001/01/10(水) 18:08
- 特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、
およびその作品。建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。
これが芸術です。
- 124 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/10(水) 18:35
- 芸術とは人と人との「コミュニケーション」手段。
創作者の伝えたいものを、私たちは作品を通じて受け取る。
このとき、その伝えたいものは言葉である必要はないし、
ヴィジュアルである必要もない。伝えられるべき「何か」
はあるわけで、それを表現(トランスレート)するには
創作者本人の技能が必要。
そして、受け取る側にも、その何かを感じ取るだけの
見る能力が必要。こうした条件が整うことにより、
コミュニケーションは確立される。
というのが私の見解。当たり前の話なんだけどね。
この「2ちゃんねる」でみんながやっていることだって、
十分芸術なんですよ。
- 125 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/10(水) 18:49
- で、なんのために芸術があるのかといわれれば、
それは人間には「他人とつながりたい」という
基本的な欲求のなせる行為なんだろうな。
「まったく他人と繋がりたくない」という人も
いることはいるだろうが、本来繋がりたかったからこそ
そういう行動を取るのであって、引きこもり行為も
その欲求を前提とした表現行為だしね。
人間、意思ある限りなんらかの表現はしている。
それが芸術になるには、その表現をカットアップして
うまく保存したり、複製したりする作業も必要だろう
けどね。写真家なんかはまさにそういう作業だし。
その作業行程で別の人間の意思が入ることもあるよね。
- 126 名前: よごれた皿 投稿日: 2001/01/10(水) 20:35
- フラナリー・オコナーっていう小説家知ってる?
全身がだんだん動かなくなって最後は死んじゃうというおそろしい病気を患い
ながら、そんな危機感のなかで、ちょっと宗教的で、静かな美しさのある小
説をいくつか書いて、短い生涯を生きた女性なんだけど、
インタヴューで「あなたはなぜ小説を書くのですか?」って聞かれたとき
ひとこと「わたしにはそれがうまくできるからです。」って答えたんだって。
それを読んだとき僕は、すごく単純な答えだけど結局これが一番正しい答え
方なんじゃないかなーって思った。
僕は美術作品のようなものを一応つくってる立場だけど、もし誰かに、なんで
作品をつくるの?って聞かれたら、やっぱり同じように答えるのが一番正直な
感じがする。
もちろん僕の場合は「それがうまくできるからです」ではなくて「うまくでき
るような気がするからです」になっちゃうけど。
でもなんか全然このスレッドの答えになってないなー。
なんの解明にもなってないっすね。
- 127 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/01/11(木) 14:34
- ヒトの自己存在証明っていう見方はどうか?
- 128 名前: 土人き 投稿日: 2001/01/11(木) 16:17
- スキルを身につけて、情報を発信する。ってトコまではよく判る。
問題は「美」なんだなあ。それはスキルなのか?
- 129 名前: 横レスすまん 投稿日: 2001/01/11(木) 16:53
- 芸術性と美性は別次元だと思う。
芸術的だから美しいという理由は無いし、
かといって美しいものが必ずしも芸術的である必要も無い。
- 130 名前: 無意味だが、辞書のコピペ 投稿日: 2001/01/11(木) 16:58
- げいじゅつ 【芸術】
(1)特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品。建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。
(2)芸・技芸。わざ。「凡(およそ)―は、…切差琢磨の功を積まざれば、その極に至りがたし/読本・弓張月(前)」
=================================================
うつくし・い 【美しい】
(形)[文]シク うつく・し
[一]
(1)視覚的・聴覚的にきれいで心をうつ。きれいだ。⇔醜い「―・い絵」「―・い音色」「容姿が―・い」
(2)精神的に価値があって人の心をうつ。心に深い感動をよびおこす。清らかだ。「―・い友情」「心の―・い人」
[二]
(1)(肉親に対して)しみじみとした深い愛情を感ずるありさま。いとしい。「妻子(めこ)見ればめぐし―・し/万葉 800」
(2)(特に小さなもの・幼いものなどについて)小さくて愛らしい。かわいらしい。「―・しきもの、瓜にかきたるちごの顔/枕草子 151」
(3)細部まできれいに整っている。申し分がない。「大学の君その日の文―・しう作り給ひて進士になり給ひぬ/源氏(乙女)」
(4)(連用形を副詞的に用いて)
(ア)心や行動がさっぱりしているありさまを表す。きれいさっぱり。「お前はさんに―・しく別れて/人情本・英対暖語」
(イ)穏やかに。静かに。「―・しう頼まんしたらば/歌舞伎・助六」〔[二](1)が原義。[二](1)(2)は「愛し」とも書く。→きれい〕
[派生] ――げ(形動)――げ(名)
- 131 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/11(木) 17:22
- 全く無意味だ。しかも長い。
- 132 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/11(木) 17:50
- >>129
美と快は、別物なんじゃなかった?
誰かがそう言ってたよーなきがするよ
- 133 名前: 芸術ってなんの為にあると思いますか 投稿日: 2001/01/11(木) 18:45
- 子孫繁栄のため。
- 134 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/14(日) 18:48
- ユングが言うに、人の意識は 有意識/個人的無意識/普遍的無意識 と分かれるらしい。
私は、創造というものを「創造主がもつなにか(A)を 意識/無意識 において転換・翻訳し
創造物(B)を成す」というふうに捉えているんだけど、
そのA→Bの転換コードが意識的であるほど芸術性はなくなりエンタメっぽくなる気がする。
文学ならば、有意識を介しているのが推理・恐怖などの大衆文学であり、
個人的無意識に転換コードを配したものがいわゆる純文学、例えばヴィアンとか。
政治的な(つまりメッセージを持った)ものは真の「純」文学ではない、例えば三島・大江。
でも、純文学は芸術寄りではあるけど、どうあっても芸術たり得ない。
なんとなれば文学は物語だから。同じ理由で映画も芸術たり得ない(例外はある)。
芸術はもっと即効性のあるもの、例えば絵画・音楽・彫刻・詩。
(個人的には香水(臭い)や料理(味覚)だって芸術たり得ると思うけどこれは言い過ぎかな)
そして、真に素晴らしい芸術とは普遍的無意識に根ざしていなければならない。
普遍的無意識において転換された創造物は、その深度が深いほど広い範囲に、
例えば関西圏の・日本の・アジアの・世界のといったレベルで普遍性を持つ。
真の芸術に触れたとき、人は深い深い心象風景をそこに見いだし感動する。
それは「イデア」なんて言葉で表してもいいかもしれない。
、、、ちょっと電波な個人的解釈です。所詮ユング程度の認識ですけど。
- 135 名前: 春をひさぐ@「例えば」って使いすぎ 投稿日: 2001/01/14(日) 18:49
- 例えば私は日本庭園に凄く感動させられる。
西洋の庭園は自然と対峙する。 、、、
自然にはありえない対称性・正円・直線などを意識的に用いるから。
日本の庭園は自然を内包する。 、、、、、、
枯山水、石をもって河や木々を表し、それ自体が世界そのものである。
盆栽なんかも同じこと。
シンメトリックな造形って、普通美しいですよね?
でもその美しさは単純な美しさだと思う。
枯山水のアシンメトリカルな美しさは単純ではない。
意識的に配置しようとしても難しい。
また、対称性は小さな乱れによって破壊されてしまう。
円が少し歪んだだけで、左右が微妙にずれただけで、違和感を覚えさせる。
しかし、数式化し得ない造形は破壊されたところで美を保持する。
枯山水の大岩一つが崩れても、それはそのまま自然の姿であるし、
むしろ自然の持つ変遷という特色を表現している。
「美は自然の模倣である」という考えは正しいと思います。
電波長文失礼しました。
- 136 名前: 春をひさぐ@134訂正 投稿日: 2001/01/14(日) 18:52
- >文学ならば、有意識を介しているのが推理・恐怖などの大衆文学であり、
→推理・恐怖・村上龍などの大衆文学であり
みたいな意味合いでの純文学/大衆文学です。
- 137 名前: 空耳 投稿日: 2001/01/14(日) 19:49
- >>135
加藤周一に桂離宮の庭についての評論があるんですけど、
読んだ事ありますか?
すごいおもしろいですよ。
竜安寺の石庭とか、色々。
普遍的無意識っていうのをもうちょっとお話聞きたいです。
別スレ、確かモナリザスレで
goatsongさんが普遍性っていうものに
意義を唱えてらっしゃいますよね。
あれに関してはどう思われますか?
- 138 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/14(日) 19:50
- ユングか・・・いいんだけどね・・・
- 139 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/14(日) 22:03
- 134>>
春をひさぐ....(まあ いいや)さん。
ユングは自分の所へきた電波さんの妄想話と、神話や民話との驚くべき
類似性の発見から、集合的無意識という考えに至りましたね。
もし、芸術が集合的無意識に根ざす物であるなら、物語もOKなのでは?
広く支持を集めている創作物に、集合的無意識に見られるモチーフが
多く出て来ているということには賛成。
でも意図してこれを使うと、なぜかものすごくイヤミなものになるけど。
- 140 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/14(日) 22:43
- >空耳
そう、加藤周一の「文学とは何か」ですよね。あの本はあの部分だけ面白かった。
私の書き込みはもちろん彼の評論のパクリです(^^;
というか、もやもや考えていたことが理路整然とまとめられていたのでそのまま
いただいちゃいました。空耳はあの意見についてどう思われますか?
普遍的無意識についてですか、、、頑張ってみます。
意識は自我の支配下にある我々が認識している「これ」そのもののことです。
意識は自己欺瞞に満ちているのでコンプレックスやトラウマ(*)なんかを
意識下へ追いやり抑圧します(語弊あり)。意識下を我々は認識・知覚し得ません。
(*)は個人的無意識の段階にあるわけで、夢に象徴的に現れたりします。
さらに深部にあるのが普遍的無意識(集合無意識)で、個人を超えた
人類共通の表層の可能性を秘めています。
この普遍的無意識はもっと細分化され、家族、地域、国家、民族、さらには
動物、生命全体に至るまでの単位があるとされます。
世界中の神話・民話に共通するモチーフってありますよね。
ユングはそれらのパターンを元型と名づけ、その代表として
セルフ、シャドウ、アニマ、アニムス、グレートマザーなどを提示しました。
もちろん、どれほど優れた芸術とはいえ原始生命体レベルの表象を体現するなんて
できません。だから、モナリザを古代ケルト人は理解しないでしょう。
しかし、我々現代人がルネサンス時代の芸術に感銘を受けるのは、
それらが文学理論や芸術理論などに基づくわけではなくリビドー全開の
深い無意識に根ざして創造されたものだからではないでしょうか。
なーんて脆弱で浅薄な知識/解釈、もともと文学畑の人間なので
美術史なんてまったくさっぱりだし、ユングもちょいと齧っただけです。
つっこみどころ満載ですがどうかご容赦を(^^;
>>138
ユングってやっぱダメらしいですね。
心理学板でも「へん、所詮ユングじゃん」みたいに言われます。
どこらへんがダメなのかご教示いただければ幸いなのですが、、、
板違いも甚だしいですけどちょっと教えてほしいです。
私の考えってあまっちょろいですかね?
長文重ね重ね申し訳ありません。
- 141 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/14(日) 22:58
- >>139
春をひさぐ....って表現、なんか奥ゆかしくて好きなんです。
なぜ物語が芸術たり得ないか。
なぜなら物語は全体を把握するのに時間がかかり過ぎるからです。
映画なら2時間、優れた絵画を見たときの衝撃を持続させれるか?
ムリだと思うのです。部分、はっとさせられたとしても、それなら
その部分だけで完成してしまっている。他の部分が意味を失う。
プルーストのあの大作を、名声高いとは言え果たして芸術と言えるでしょうか。
もちろん「ある種の衝撃は助走を要する」のかもしれません。
でもそれを芸術と呼ぶのに私は躊躇してしまいます。
物語と芸術はそれぞれ違った役割を担っていると思います。
相反するわけでもなく、優劣があるわけでもなく。
もちろんモチーフの表れは無自覚かつ自発的・必然的でなければならないと思います。
- 142 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/14(日) 23:21
- >141
なるほど、そこまでおっしゃられるなら。
それはそれで立派な見解かと。
ところでユングって、70年代から80年代初期頃までの芸術、エンタメ、
小説、映画なんかを考えるとき、はずしちゃいかん要素だと思うのですが。
結構みなさん使ってましたよね。 なにげに。
- 143 名前: 空耳 投稿日: 2001/01/14(日) 23:28
- 春をひさぐさんがあまっちょろいかどうかは謎ですが、
個人的にはあまっちょろい考えを持っていて、
突っ走っている感じの人は応援したくなるので結構好きです。
加藤周一のは昔読んだのでなんて作品かも覚えてなかったので
助かりました。
なんとなくおもしろかったのは覚えてるんですが、
内容は読み直さないと・・・
でも当時は感心した記憶があります。
加藤周一ってどんな流れを汲む評論家なんでしょうか。
結構好きです。
>もちろん、どれほど優れた芸術とはいえ原始生命体レベルの表象を体現するなんて
できません。だから、モナリザを古代ケルト人は理解しないでしょう。
しかし、我々現代人がルネサンス時代の芸術に感銘を受けるのは、
それらが文学理論や芸術理論などに基づくわけではなくリビドー全開の
深い無意識に根ざして創造されたものだからではないでしょうか。
この部分なんですけど、何故現代人は理解できて、ケルト人は理解できない
のでしょうか?
その違いはどこからくるのでしょうか。
私は現代人が芸術理論の素養をもっているからじゃなくて
西洋との文化的バックグラウンドを共有するようになったからだと
思うんですけど。
- 144 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/15(月) 00:40
- >空耳143
実は私、ケルト人が何者なのかまったく知らないんです。
なんとなく北京原人とかシュメール人とかと同類項で考えていました。
単に ケルト人・ルネサンス時代の人・現代人 と並べてみて
ケルト〜ルネ の時間的距離より ルネ〜現代 の距離のが近いと思ったので、
現代じんでも理解できるのだと結論しただけです。
ただ、もし現代(日本)人が西洋の文化的バックグラウンドを理解したからというのが
ルネ芸術に感銘を受ける理由であるならば
現代(日本)人はルネ芸術を真には理解しているとは言えないと思います。
芸術の衝撃というものは知識や文化理解などを超越して受け止められるものではないでしょうか。
頭で、ではなく心で体で感動するものですよね?
一応私は作家志望なのでこの甘っちょろい考えを踏まえて突っ走るつもりです。
応援してくださいね(^^)
- 145 名前: 空耳 投稿日: 2001/01/15(月) 01:01
- 時間的距離に着眼するのは何故ですか?
それってやはり文化にどれだけ共通項があるかという話になるのでは?
何故時間的距離が近いほど理解しやすいのでしょう。
ケルト人は素晴らしい芸術文化をもっていましたが、
ルネサンスと対極にありました。
彼らは写実を嫌い、抽象の中にこそ真実を見出しました。
ここを読むとよく分かると思いますが、
ケルト美術は原始的な力強さを持つと同時に非常に洗練されています。
http://www.tef.or.jp/tmm/event04.htm
彼らはローマの芸術を馬鹿にしていたようです。
私の考えを言わせて貰えば、
より普遍的たりうるのはむしろ物語の方だと思いますよ。
物語は芸術作品ほどは様式にとらわれないからです。
だから全ての時代、全ての文化圏に普遍性を持つ物語はあると思います。
(勿論、車の無い時代には車の話は理解できませんが・・・)
- 146 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/15(月) 18:36
- >144
そうですか。作家志望....つうことは作る側ですね。
ふっふっふっ、なら 容赦しません。
全体的に論の詰めが甘すぎますよ。
ユングを出したはいいが、そのあとなぜ即効性のあるもの以外を
芸術として却下するのかが良く分からない。
力技すぎます。
即効性のある物が芸術というのはあなたの感覚だと思うのですが、
その辺をうまい理屈で説明してください。
また、「美は自然の模倣である」というテーゼを肯定する下り(>135)
も、あまりに感覚的です。
アシンメトリーを美とする文化は、日本やイギリスあたりでは普通ですが、
ムスリム圏や、ギリシャなどのヨーロッパ大陸部、
中国(紫禁城のフォーマルな場所を見てごらんなさい)などでは、
決して普通の感覚ではないのです。
単純=純粋とする文化も存在するのです。
このへん、うまい理屈はありますか?
あと、引き合いに出す物のアウトラインくらいは知っておかないと、
論に説得力が出ませんよ(>144)。
蛇足ながら北京原人とシュメール人も、スペイシスの単位で違います。
論文ではなく、小説ならば結果が合っているかどうかは問題ではありません。
むしろ、どんなとんでもない結果を提示してくれるのか、読者は楽しみにしています。
けれども、結果に導く過程でどれほどの説得力を見せるかは、その作家の力量
だと思うのです。
私には自分の感覚を言葉で表現しきれるような才能はありません。
だからあなたをうらやましく思います。せっせとその才能を磨いてください。
で、もう一回、見事に説明されたあなたの論を聞かせてください。
- 147 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/15(月) 21:05
- >時間的距離に着眼するのは何故ですか?
それってやはり文化にどれだけ共通項があるかという話になるのでは?
うーん、、、ホントだ。
ということは、文化の共有は芸術理解の前提条件なのかな。
どうもイヤだな。なんとかそうではないという結論に至りたいんだけど
ちょっと思考がまとまらないので保留ということで。考えときます。
>より普遍的たりうるのはむしろ物語の方だと思いますよ。
>物語は芸術作品ほどは様式にとらわれないからです。
でも、それだって様式にとらわれていない物語ならばこそでしょ?
名声は高いけどエーコーやピンチョンが普遍性を持つとは思えない(文学として優れてはいても)。
プルースト、あるいはマルケス、物語の究極形態である神話や聖書など、
様式や理論の枠におさまりきらない物語ならば、時を超えて感銘を与えるでしょう。
というか、あらゆる試みはたとえどんな地平を開拓したとしても、それがまた様式となってしまうと思います。
先に挙げたプルーストの方法論だって「論」たり得るのですから、ぶっちゃけた話
どんな物語でも芸術でも様式にとらわれていると言えるのではないでしょうか。
ですから、様式にとらわれていないという表現を、無意識を媒介としたリビドー全開の
ものと考えてみてください(と強引に自論に結びつける)。
マルケスはもちろん意識的に書いています。ではどこがエーコーと違うのか。
それは、無意識が作用し得る余地のある方法論をとっているからだと思います。
沈思黙考の産物ではなく抑えきれないリビドーに由来するものだからだと思います。
(つまり、プロットを決めこんで書いているのではなく派生や方向転換の余地のある
書き方をしている。100%憶測ですが)
あまりに浅薄な知識ゆえ文学板なら集中放火の対象になるような書き込みです。
作家名については深く考えないで下さい。文学板にチクっちゃダメですよ。
つづきます
- 148 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/15(月) 21:05
- (承前)
昔、美術部の子がでかい絵を描いているところを見たことがあるのですが、
すごく没頭してるんですよね。頭ではなく感覚で、「ここに赤がほしい」とか、
理屈じゃないんですよね。汗だくになって描いてました。
基本的に絵画は物語よりも創作方法からして無意識性が高いと思います。
ですから私は物語より芸術の方が普遍性が高いと思うのです。
芸術様式というものがどのようなものなのか、私は知りません。
ただ、模範的な基準があってそれが創作に窮屈さを与えたとしても、
物語の不自由さと比べたら取るに足らないものだと想像します。
、、、とまた憶測でものを言う。
どうかこの無知さ加減に倦むことなくお付き合い下さい。m(_ _)m
よくわかりませんが、モンドリアンやフォン・ドゥースブルグ(?)の提唱した
デ・ステイルってあるじゃないですか。ああいった抽象絵画って、
すごく可能性を秘めてるような気が……素人考えですが。
何の参考にもならないかもしれませんが 「文学とは何か?」スレです。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=973746141
※そろそろウザがられそうなのでこれからはsageで書きます。
- 149 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/15(月) 21:06
- う、いつのまにか>>146さん。
また長考に入りますのでちょっと待っててください。
忌憚なきご意見・ご批判は本当にありがたいです。
きっと呆れられるほどの儚い頭しか持ちあわせておりませんが、
発展途上の若者に諭してやると思ってどうかご鞭撻のほどを。
そうか甘いのか、、、まいったなあ。
- 150 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/15(月) 21:50
- >>146
頑張ってみます。(^ ^ ;
>そのあとなぜ即効性のあるもの以外を芸術として却下するのか
そもそも文学は芸術じゃないだろという「感覚」が、固定観念として私の中にあります。
私の思う芸術なるものは、目にした瞬間に圧倒的な衝撃を与えてくれるような、そんなものです。
もちろんその度合いは様々だから、衝撃とまではいかないけれど目はくぎ付けにとか。
とまあ、これは感覚的で私的な意見です。
さて。>>141の私の書き込みをちょっと見てみてください。
全体を捉えるのに長い時間を要する物語というものは、
その鑑賞時間中ずっと感動を与えることができるのか?できないでしょう。
物語が与えることができる感動は、長い前置きを消化して
登りつめたクライマックスにあるものです。
仮に小説の冒頭の一行があまりに美しい表現であったとしてそこに感動したとしても、
それは物語の感動ではありません。文章の美しさの与える感動です。
(ですから、文学には物語の感動と詩的な感動とが共存していると言えるでしょう)
あるいは映画のワンシーン、美しい風景とそれにシンクロした音楽に感動したとしても、
それはその部分だけで完結してしまっています。
物語というものは、部分に分解してしまっては物語ではないのです。
(物語の一部、挿話としての物語とか、小クライマックスとかは、一つの短い物語です)
では一連の前置き・クライマックスを芸術と読んではいけないのか?
ここからはまた私的感覚ですが、与える感銘の性質が違うものを、
ムリに一つのカテゴリーに入れなくてもいいじゃんと思うのです。
物語と芸術は別物、感銘を与えるという点で共通する創造物ではあるが別物、
と定義したほうがわかりやすいし混同を防げてよいと思います。
どうでしょうか?とりあえず一つだけ。
ところでユング程度の認識、という点はどうですか?そこも甘いのか知らん。
- 151 名前: 春をひさぐ@私ばっかりカキコして申し訳な 投稿日: 2001/01/15(月) 22:27
- >>146
>「美は自然の模倣である」というテーゼを肯定する下りも、あまりに感覚的です。
あのレスで私が言いたかったことは、結局は頭(洋庭)の否定/無意識(和庭)の肯定
なんですね。「美は自然の模倣である」と言ったのは、ふと思いついて
なんかカッチョいいじゃん!って気がしたもので……それが主張なのではありません。
シンメトリカルな美は意識的に創造できるけど、アシンメトリカルでなお美しいものは
数式化し得ない、無意識的なものの産物である、と。
しかしこの美意識が世界共通ではないとは驚きました。確かに曼荼羅とかね。
でもそれって、単に文化程度が低いから、とかそんな理由ではないのですか?
単純なシンメトリックは確かに美しいから、そのレベルで拘泥してしまているとか。
つまり、必ずしもアシンメトリックは醜!というのではなくて、シンメトリックが優勢なだけで。
だって、例えば水墨画とかの美醜はどうやって判断されるのでしょう?
左右非対称な濃淡の微妙なバランスとか、アシンメトリカルなものの中に美を見出す
素養は持っているとは考えられないですか?
建築物に関しては、耐久性という要素が深く絡んでくるので対称性を重んじるのは
当然のことでしょう。それは日本の神社仏閣などにも言えることです。
「この国はアシンメ!この国はシンメ!」みたいにはっきり分かれるものではなく、
どの地域でも混在していてその割合の違いが文化なのではないでしょうか。
でもこのご指摘は凄く興味深いです。
ところで 『「美は自然の模倣である」というテーゼ』 は現代美術ではどうなんでしょう?
- 152 名前: 土人き 投稿日: 2001/01/15(月) 23:23
- 春をひさぐさん
鑑賞にかかる時間差は、ただ時間の問題にすぎないとしか思えない。
一秒も一時間も大差はない。
絵画だって、全体を見て細部を味わって、ぐらいの時間はかかる。
一見、何を描いているのかさえ判らないこともあろう。
芸術とは、あらゆる表現活動のすべてではないの?
それに視覚的創作活動に文法がないわけでは決してないし。
なんらかの超越的存在の、具体的表現への換算コードは
文化によって、というか個人によっても違う。
でも例えば「異性への愛」とかの、
世界のどこにでも見られる普遍的な感情を表現したのなら、
それを解する世界中の大人(除お子様)のすべてが理解できるだろう。
けれど、かような抽象概念はしかし、文化圏によって異なる。
さてその表現方法だが、「対称性は小さな乱れによって破壊されてしまう」
しかしだからこそ、はかない雪の結晶のようなものの中にこそ、
この世のものならぬ真理が宿る可能性があると考えることもできる。
いわゆる有り難いことだ。
自然をありのまま捉えるのもよし、分析して捉えるのもよし。
理性によっても感性によっても
どちらも真理に近づくことはできるだろう。
とか考えたりして。ちょっとずれた?
- 153 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/15(月) 23:50
- ≫152
時間の問題……そうかもしれません。
大聖堂の天井絵なんて鑑賞にずいぶん時間を要しますもんね。
ただ、それでも物語は芸術たり得ないと思います。
どうも頑固なもので(^ ^; 土人きどう思われますか?
芸術について、私は定義できません。
私が上に延々書いていたのは、あくまで私個人の「真の芸術」の解釈です。
私が見てみたい芸術の理想像というか。
転換コードに絶対的なものはないというご意見、まったく賛成です。
しかし、それは本当か?なんらかの共通項はないのか?
と敢えて問い考えてみるのも面白いかもしれませんね。
雪の結晶、そうなんですよね。
量子力学の世界は基本的に対称形を持っていて、
でもそのパリティー(?)の対称性という完璧に思えていた法則が
実は完璧でなかったことが最近わかったりもして。
面白いのでちょっと考えてみます。
でもとりあえず就寝します。
何度も長文書いてホント申し訳ないです>All
- 154 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/16(火) 23:47
- 思わぬ所から援護射撃が。 >>152
これで話しは早い。
さて、春をひさぐさん。 言い張りますねぇ。
>>150
土人きさんの言うように、それは時間的な問題だけではないのか?
なぜ、見た瞬間にインパクトがなければならないのかというのが私の疑問です。
>そもそも文学は芸術じゃないだろという「感覚」が、固定観念として私の中にあります。
>私の思う芸術なるものは、目にした瞬間に圧倒的な衝撃を与えてくれるような、そんなものです。
そう感じたならそれはそれで結構なのです。
ただそうならば、言葉をあやつる者として、その感覚をもっと一般性を持って説明して欲しいのです。
今のままでは唐突すぎて、あなたの思考経路がよくわかりません。
「なるほど!」とか、「そうか、そう来たか!」とか思えるような説明、お待ちしております。
- 155 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/16(火) 23:48
- 154続き
>>151
>あのレスで私が言いたかったことは、結局は頭(洋庭)の否定/無意識(和庭)の肯定
>なんですね。
ここまでは、読めば分かります。
けれども、あなたの考えている文化とは一体何か?ちょっと気に掛かりました。
その前に、私が文化についてどう考えているかを説明しなければなりませんね。
そう....、あなたはカスパール・ハウザー事件をご存知でしょうか?
1828年のニュールンベルクに突如現れた孤児の事件です。
あれ、結構心理学的にも重要な事件でして、「生まれてから、密室の中で人間と接触させずに
育てるとどうなるか?」というきわめて興味深い題材なのです。
カスパールは生まれて初めて開いた窓を見たとたん、叫び声を上げて失神してしまうのですが、
後の彼自身の回想によると、「さまざまな色の光が自分を襲ってくるような気がした」と語ったそうです。
つまり、彼には窓の外の風景は形を成したものには見えず、ただの光と認識したのです。
人間は学習(勉強じゃあないよ)によらなければ、外部の物の形状すら認識できない。
これが、心理学者たちの出した結論です。
- 156 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/16(火) 23:49
- さらに続き(スマソ)
前置きが長くなりましたが、さて、ここからが本題です。
言葉は、文化ですね?
人間は言葉によって目の前に有る物体をその他大勢から切り取り、認識する。
親や周りの人間から伝えられる情報も、また文化ですね。
目の前の物体がどんな意味を持つのかも、多くは周りの人間から伝わります。
言ってみれば、人間は生まれたときのままでは、何もインストールされていないパソコン
のようなもので、文化とはプログラムそのものを意味するというのが私の認識です。
そしてそのプログラム無しに、人間は目の前の物を認識することすら出来ない。
文化とは、決して絵や小説の同義語ではないのです。
シンメトリーの美も、アシンメトリーの美もすべて文化によって認識される。
文化が違えば、当然価値の優先順位も変わってくる。
べつにどちらが劣っているわけでも優れているわけでもないのです。
そしてさらに言ってしまえば、
人は決して自分に対してプログラミングされた文化から自由になることはできない。
自分にとって異質な文化は、一度自分が持っている文化のフィルターを通してしか認識されない。
これが、>>147の文化の共有に対する私の意見です。
もっとも、私は文化が人間の外部認識の根幹に関わると考えているので、プログムの深層は
終生変えることは出来ないと思っていますが。
ところで、ユング程度の認識って? >>150
たしか80年代頭頃に、絵でも小説でもなんでもかんでもにユングの類型を当てはめようとした
愚か者が多数いたような気がするが(それも極めて浅薄な解釈で)。
- 157 名前: 空耳 投稿日: 2001/01/17(水) 01:47
- えー、文学の話はちょっと私全然わかんなくって・・・
(読んだ事無いもので)
エーコーやピンチョンの実験性みたいなもの?について教えて欲しいです。
美とは自然の模倣であるという言葉は別に私が作った言葉ではないんですが、
自然美というのは、対称、非対称という単純な話では無いと思いますよ。
いや、単純なものこそが究極の美とも言えるかもしれないけど、
それはe=mc二乗(出し方がわからない)みたいな
驚きと共に語られるような単純さのことであって、
えーと、うまく言えないや。
つまり、自然がアンシンメトリーであり、
春さんがアンシンメントリーなものに共感を抱くからと言って
美とは自然の模倣であると言う言葉に同意しちゃうのはまずいのでは?
ちなみに曼荼羅を見てシンメトリーである故に単純で整然とした印象を
抱くか、混沌とした印象を抱くかは人によると思いますけど、
私は曼荼羅を見ているとシンメントリーであるにもかかわらず、
たいへん混乱してきます。
枝とかってアンシンメントリーと思いきや、
実は法則がちゃんとあるらしいですね。渦も。
フラクタル理論っていうらしいですが。漫画で読んだ。
その法則を覗いてしまった時のような混沌を感じる。
だから曼荼羅を単純なものの持つ純粋さというものに分類しちゃうのは
なんか違和感を感じてしまいます。
- 158 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/17(水) 14:36
- わあ、なんか非難囂々ですね(^^;
うーん、でもやっぱり納得できないので反論します。
決して自論を固辞しようとムキになってるわけではないですよ。
>>154
150での私が意見は、その引用部分ではありません。
その下に書いたように、そもそも「物語」とは連続性をもったものであり、
決して部分に分解できないものです。
というか、分解したその「部分」は「物語」ではありません。
「部分」が感動を与えた、ならばそれは「部分」だけで完成してしまっています。
「物語」というものは、一連の流れの果てにあるクライマックスにおいて
意味を持ち感動を与えるものです。
ですから私は「物語」のもつ意味と「芸術」のもつ意味とを一括りにしてしまうのは
あまりに乱暴なカテゴライズではないかと思うのです。
但し、この主張では物語=文学ではありません。村上春樹は処女作「風の歌を聴け」
においてフラグメントの寄せ集めを斬新な方法で文学の形に昇華し
評価を得ましたが、村上本人も「あれは物語ではない」と明言しています。
でも、鑑賞に2時間かかる、微に入り細を穿ったディティール持つ
とてつもなく大きな絵画があったとして、それを「物語」ではないと
断言できるかというと、わからなくなります。排反ではないのかもしれない。
「芸術は瞬間衝撃的なものだ」という主張はたしかに語弊を含んでいますが、
上記の理由から物語は芸術ではないと、やはり結論してしまいます。
あれ?154は私の芸術に対する定義がおかしいと言ってるんだっけ?
物語と芸術の関係については空耳が異論を唱えたのか。どうですか?>空耳
でもやっぱり、「芸術は瞬間衝撃的なもの」な気がするんですよねー。
なんかじわじわ型の芸術を例示して頂けませんか?>154
- 159 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/17(水) 14:36
-
>文化とは、決して絵や小説の同義語ではないのです。
そうですね。文化>芸術・物語 です。文化に内包される。
文化の具体例が文学であり、絵画です。その文化圏共通の美意識です。
ただ、
>そのプログラム無しに、人間は目の前の物を認識することすら出来ない。
実験の話は興味深いです。学習→認識という流れもよくわかりました。
でも私は全人類共通のOSはあるだろうと思うのです。
つまり、このOSがユング言うところの普遍的無意識です。
そのOSに美を認識する機能は全くないのでしょうか?
人体の美しさ。夜空の美しさ。陽に透ける緑葉の美しさ。
儚いものにどうして心を奪われるのか。海の壮大さに圧倒されるのは何故か。
美意識に限ることではありません。なぜ世界中が歌にあふれているのか。
人を愛すること、愛に意味を求めること、死を悼むこと。
およそ人間が感動するものの種類なんて限られています。
文化というものは禁忌によって抑制されます。
裸体を美しいとする美意識を持つ文化、持たない文化。
持たない文化圏の人間は、そのタブーが解禁されたとしても
プログラム故に裸体を忌まわしいものと思ってしまうのでしょか?
文化から美意識を語ることはできないと思います。
ただ、対称性の美に対する私の言及は、たしかに甘っちょろいですね(^^;
- 160 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/17(水) 14:36
- >>157空耳
えっと、、、文学についてですか。
私は自称文学人間ですが、きっとあなたとさして知識はかわりませんです。
エーコーは、記号論という学問のひとです。たぶん。そして自らの記号論における
主張を「薔薇の名前」という小説のかたちをとって世に問いました。
つまり研究者がよってたかって解剖するような小説を書いたのです。
ピンチョンは「重力の虹」というぶっ厚い本で有名です。
この人に関してはよく知らずに名を挙げたのですが、理詰め理詰めで書くタイプ
という点は間違いないでしょう。
この例示に関してはあまり考えないでください。自信全然ない。
>美とは自然の模倣であると言う言葉に同意しちゃうのはまずいのでは?
ですからそれは主張ではないですのであまり責めないで下さいー(涙
思いつきで物を書いた私がバカでした。
フラクタルの話、凄く興味深いですね。
河合隼雄と村上春樹の対談に、村上が「井戸を掘る」と形容する、無意識のレベルを
掘り下げていく作業について触れてるところがあるんです。
で彼は、「日常」を境にそれと対極にあるものとして
カオス・フラクタルの概念を捉えてると言うのです(大筋では)。
そして、対極にあるのだけれど、究極していけば両者は繋がるのではないか、と。
示唆に富んでて興味深いと思いません?
単純・複雑に対する私の意見はあまりに奥行きに欠けてたようです。
またちょっとフラクタルやなんかを念頭に置いて考えてみます。
バイトの面接行ってきます〜
- 161 名前: どーでもいいことだが。 投稿日: 2001/01/17(水) 16:31
- >>155
カスパール・ハウザーなる人物は「幽閉された王族」「稀代の詐欺師」はては
「再臨せるメシア説」まである謎だらけの御方ですぜ。
そんな御仁の話を鵜呑みにしていいんですかねえ。
- 162 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/17(水) 21:52
- ひさぐさん >>158
>うーん、でもやっぱり納得できないので反論します。
>決して自論を固辞しようとムキになってるわけではないですよ。
イエイエ、ムキになってください。
別に私は非難してませんよ。 あなたの説が面白そうなので、
もっと解説して欲しいだけです。
混乱してきたようですので、ちょっと流れの整理。
とりあえず、文学は芸術か?編。
ひさぐさん(以下 ひ) >>134
>でも、純文学は芸術寄りではあるけど、どうあっても芸術たり得ない。
>なんとなれば文学は物語だから。同じ理由で映画も芸術たり得ない(例外はある)。
>芸術はもっと即効性のあるもの、例えば絵画・音楽・彫刻・詩。
>(個人的には香水(臭い)や料理(味覚)だって芸術たり得ると思うけどこれは言い過ぎかな)
>そして、真に素晴らしい芸術とは普遍的無意識に根ざしていなければならない。
↓
私(以下 わ) >>139
>もし、芸術が集合的無意識に根ざす物であるなら、物語もOKなのでは?
↓
ひ >>141
>なぜ物語が芸術たり得ないか。
>なぜなら物語は全体を把握するのに時間がかかり過ぎるからです。
↓
わ >>146
>ユングを出したはいいが、そのあとなぜ即効性のあるもの以外を
>芸術として却下するのかが良く分からない。
↓
ひ >>150
>そもそも文学は芸術じゃないだろという「感覚」が、固定観念として私の中にあります。
>私の思う芸術なるものは、目にした瞬間に圧倒的な衝撃を与えてくれるような、そんなものです。
↓
土人きさん >>152
>鑑賞にかかる時間差は、ただ時間の問題にすぎないとしか思えない。
↓
ひ >>153
>大聖堂の天井絵なんて鑑賞にずいぶん時間を要しますもんね。
>ただ、それでも物語は芸術たり得ないと思います。
↓
わ >>154
そう感じたならそれはそれで結構なのです。
ただそうならば、言葉をあやつる者として、その感覚をもっと一般性を持って説明して欲しいのです。
↓
ひ >>158
>そもそも「物語」とは連続性をもったものであり、
>決して部分に分解できないものです。
>というか、分解したその「部分」は「物語」ではありません。
>「部分」が感動を与えた、ならばそれは「部分」だけで完成してしまっています。
>「物語」というものは、一連の流れの果てにあるクライマックスにおいて
>意味を持ち感動を与えるものです。
>ですから私は「物語」のもつ意味と「芸術」のもつ意味とを一括りにしてしまうのは
>あまりに乱暴なカテゴライズではないかと思うのです。
こんなところでどうです?
関係者の方、これが足らん!と思ったら追加してください。
「美は自然の模倣」編は、これからまとめるからちょっとまってね。
- 163 名前: 春をひさぐ 投稿日: 2001/01/17(水) 22:46
- >>162
丁寧にまとめてくださって感謝感謝です。
私も「物語と芸術」「美意識と文化」の両方を孤立無援で議論していて
少々混乱気味だったもので。
>イエイエ、ムキになってください。
わかりました。あくまで私の目標は自論の固辞ではなく、
自論とアンチテーゼのどちらが正しいのか、あるいはジンテーゼを
導き出せるのか、なのでその範囲でムキになります。
頑迷で無知な若僧ですが、どうぞお付き合いのほどを。
しかしここ(美術板)ってホント閑散としてますね。寂しい。
これだけ長文だらだら書いても寛容に見守ってださってる
住人の皆様にも感謝しております。
ところで162の方、コテハンつけてよぅ。混乱するよぅ。
- 164 名前: 春をひさぐ@一応補足 投稿日: 2001/01/17(水) 23:02
- ややこしいことに「物語と芸術」のほうは、
・物語と芸術は別物なのかそうではないのか(主に空耳)
・芸術は瞬間性を必要とするのか(主に162)
の二つ問題が消化されていないんですよね。
前者については自論にけっこう自信持ってんですけど、
後者は多分に感覚的なので説得力がないんですよねー。
- 165 名前: 春をひさぐ@電波受信系 投稿日: 2001/01/17(水) 23:42
- 誰もいないから「芸術と瞬間性」について独り言。
ふとした瞬間に、とても漠然とした古い古い記憶の断片を感じることがある。
言葉には表現しきれない。概念を超えた感覚。それは至上の何か。
これを体験したとき、私は凄く至福の夢心地を感じる。
こんな書き方では電波に間違われそうだけど、ホントに。
その記憶が甦る感覚はすごくすごく瞬間の出来事で、
歩いているときに「あっ!」とその存在を感じて驚いて、
次ぎの一歩を踏み出せばそれは消え去ってしまう。儚い残像。
まるで夢みたいだな、と思いはたと気づく。
そうかこれは心象風景を知覚しているのか。
ということは、まさに夢の中・意識下にある何かを感じている。
しかし、それはあまりに深いところにあるため生半のことでは
尻尾をつかませてくれない。何か暴力的に揺さぶりをかけないと。
それには衝撃が必要である。瞬間的で圧倒的な。
私は芸術にそれを求める。
実際は何かの風景を目にしたときに起こることが多い。
たぶん、視覚というものが一番贅沢な器官だからじゃないかな。
しかしこれは、「失われた時を求めて」の主人公がマドレーヌを口にした
瞬間に、まざまざと記憶を呼び覚ますのと同じなのではないかな。
久しぶりの香水をつけたりするとこれに近い(次元がちょい低い)
感覚を得たりする。懐かしさという感覚。
で、それを追求する手段として私は文学を選びました。
芸術は私の手におえないし、物語の中では文学が一番個人に根ざしているから。
こういった理由から、芸術には即効性が必要だという考えを
どうしても感覚的に支持してしまうのです。
なんだかこのスレ、私の妄想隔離用になってきてますね(~~;
- 166 名前: わたしはたわし 投稿日: 2001/01/18(木) 13:41
- 春をひさぐさんの言いたいこと僕もなんとなくわかる気がします。
でも言葉にするのはものすごく大変なことみたい。
がんばってください。応援してます。
- 167 名前: 土人き 投稿日: 2001/01/18(木) 19:15
- 芸術作品の鑑賞の仕方は、鑑賞者のレベルに任されている。
つまり、どー鑑賞しようと自由なわけだ。
だって作品は、鑑賞者との係わりでのみ、意味を持つわけだから。
というわけで、物語を全体で鑑賞せねばならぬ義理はない。
「この小説は、僕のとってはあのフレーズが全てでしたね」
とか言ってもよし。細部でいいじゃんか?
だいたい、視覚的作品を理解する方が、
よっぽど時間がかかるような・・・。
- 168 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/18(木) 22:04
- よいしょっと。
美は自然の模倣 あるいはシンメトリックと文化 編。
ひ >>135
>シンメトリックな造形って、普通美しいですよね?
>でもその美しさは単純な美しさだと思う。
>枯山水のアシンメトリカルな美しさは単純ではない。
>意識的に配置しようとしても難しい。
>また、対称性は小さな乱れによって破壊されてしまう。
>円が少し歪んだだけで、左右が微妙にずれただけで、違和感を覚えさせる。
>しかし、数式化し得ない造形は破壊されたところで美を保持する。
>枯山水の大岩一つが崩れても、それはそのまま自然の姿であるし、
>むしろ自然の持つ変遷という特色を表現している。
↓
わ >>146
>アシンメトリーを美とする文化は、日本やイギリスあたりでは普通ですが、
>ムスリム圏や、ギリシャなどのヨーロッパ大陸部、
>中国(紫禁城のフォーマルな場所を見てごらんなさい)などでは、
>決して普通の感覚ではないのです。
>単純=純粋とする文化も存在するのです。
↓
ひ >>151
>シンメトリカルな美は意識的に創造できるけど、アシンメトリカルでなお美しいものは
>数式化し得ない、無意識的なものの産物である、と。
>しかしこの美意識が世界共通ではないとは驚きました。確かに曼荼羅とかね。
>でもそれって、単に文化程度が低いから、とかそんな理由ではないのですか?
>単純なシンメトリックは確かに美しいから、そのレベルで拘泥してしまているとか。
↓
わ >>156
>シンメトリーの美も、アシンメトリーの美もすべて文化によって認識される。
>文化が違えば、当然価値の優先順位も変わってくる。
>べつにどちらが劣っているわけでも優れているわけでもないのです。
↓
空耳さん >>157
>自然美というのは、対称、非対称という単純な話では無いと思いますよ。
>いや、単純なものこそが究極の美とも言えるかもしれないけど、
>それはe=mc二乗(出し方がわからない)みたいな
>驚きと共に語られるような単純さのことであって、
>えーと、うまく言えないや。
>つまり、自然がアンシンメトリーであり、
>春さんがアンシンメントリーなものに共感を抱くからと言って
>美とは自然の模倣であると言う言葉に同意しちゃうのはまずいのでは?
つづく
- 169 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/18(木) 22:07
- あれ?下がらん。スマソ
168つづき
↓
ひ >>159
to156
>でも私は全人類共通のOSはあるだろうと思うのです。
>つまり、このOSがユング言うところの普遍的無意識です。
>そのOSに美を認識する機能は全くないのでしょうか?
>人体の美しさ。夜空の美しさ。陽に透ける緑葉の美しさ。
>儚いものにどうして心を奪われるのか。海の壮大さに圧倒されるのは何故か。
>美意識に限ることではありません。なぜ世界中が歌にあふれているのか。
>人を愛すること、愛に意味を求めること、死を悼むこと。
>およそ人間が感動するものの種類なんて限られています。
>文化というものは禁忌によって抑制されます。
>裸体を美しいとする美意識を持つ文化、持たない文化。
>持たない文化圏の人間は、そのタブーが解禁されたとしても
>プログラム故に裸体を忌まわしいものと思ってしまうのでしょか?
>文化から美意識を語ることはできないと思います。
ひ >>160
to157
>あまり責めないで下さいー(涙
これも、これが抜けてんじゃん!と思ったら追加して。>関係者。
今まとめてたら、「文化と時間的距離」という流れがあるのを発見。
しばしまて。
ところで、>>163
>162の方、コテハンつけてよぅ。混乱するよぅ。
私がコテハンだすとカッチョ悪いので、やだ。
ついでに、>>161
いいんですっ! 話は無意味なくらい壮大な方が。
まあ、仮にカスパールハウザーが、完全な詐欺師だったとしても、
私が使ったところは発達心理の研究者たちが、別件から全く同じ
結果を導き出してますし。
- 170 名前: わたしはダリ?名無しさん? 投稿日: 2001/01/18(木) 22:56
- これで最後。 文化と時間的距離 あるいは 空耳vsひさぐ論争 編。
ひ >>140
>だから、モナリザを古代ケルト人は理解しないでしょう。
>しかし、我々現代人がルネサンス時代の芸術に感銘を受けるのは、
>それらが文学理論や芸術理論などに基づくわけではなくリビドー全開の
>深い無意識に根ざして創造されたものだからではないでしょうか。
↓
空耳さん(以下 そ) >>143
>この部分なんですけど、何故現代人は理解できて、ケルト人は理解できない
>のでしょうか?
>その違いはどこからくるのでしょうか。
>私は現代人が芸術理論の素養をもっているからじゃなくて
>西洋との文化的バックグラウンドを共有するようになったからだと
>思うんですけど。
↓
ひ >>144
>単に ケルト人・ルネサンス時代の人・現代人 と並べてみて
>ケルト〜ルネ の時間的距離より ルネ〜現代 の距離のが近いと思ったので、
>現代じんでも理解できるのだと結論しただけです。
(略)
>芸術の衝撃というものは知識や文化理解などを超越して受け止められるものではないでしょうか。
↓
そ >>145
>時間的距離に着眼するのは何故ですか?
>それってやはり文化にどれだけ共通項があるかという話になるのでは?(※1)
(略)
>私の考えを言わせて貰えば、
>より普遍的たりうるのはむしろ物語の方だと思いますよ。
>物語は芸術作品ほどは様式にとらわれないからです。(※2)
↓
ひ >>147
(>※1)
>ちょっと思考がまとまらないので保留ということで。考えときます。
(>※2)
>でも、それだって様式にとらわれていない物語ならばこそでしょ?
>名声は高いけどエーコーやピンチョンが普遍性を持つとは思えない
↓
わ >>156
人は決して自分に対してプログラミングされた文化から自由になることはできない。
自分にとって異質な文化は、一度自分が持っている文化のフィルターを通してしか認識されない。
これが、文化の共有に対する私の意見です。
そ >>157
>エーコーやピンチョンの実験性みたいなもの?について教えて欲しいです。
- 171 名前: 春をひさぐ@長文は癖ですゴメンナサイ 投稿日: 2001/01/19(金) 01:05
- よかった〜 レスついてる。
あまりの電波ぶりに愛想つかして放置プレイにされたのかと
ちょっと不安になってました(^ ^ゞ
>>166 わたしはわたし
これは165へのレスポンスかな?ありがとうございます(^ ^)
頭に浮かんでいることを言葉に表せないという状態はけっこうキツイです。
言葉を武器にするはずの作家志望なのに情けないっス。
>>167 土人き
>だって作品は、鑑賞者との係わりでのみ、意味を持つわけだから。
私はこの考え方イヤだ。
鑑賞者に無限の解釈可能性を与えるという考えは基本的に賛成です。
でもそれは「文学」でいえば「テキスト」の解釈についてであって、「作品」は
作家が意味を限定するものです(創作段階では。完成後は読者と等距離)。
「芸術」は、あるいはこのようなテキストと作品の区別なんてないのかもしれませんが、
「物語」に関しては、解釈の対象になるのは全体(一連の流れ)なのです。
いえ、文芸批評なんかはバラバラに解剖しますけどね、それは「文学」の「テキスト」の
解釈ですからそれはそれ。それとはべつに「作品」の意味は存在します。
>「この小説は、僕のとってはあのフレーズが全てでしたね」
そう。「小説」や「文学」というものの中には「物語」以外の要素(文章の美とか)が含まれる為、
この発言をした人にとってはその「小説」はその部分だけで完結しているのでしょう。
ですが、私の言及は「物語」についてのものですから、あなたの書き込みは見当違いです。
よろしければ